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笠井咲(林家こんぺいの娘)の経歴プロフィール!結婚や若い頃のケンカについて

チャラーンのフレーズでおなじみの落語家の林家こん平さん(本名・笠井光男さん)が12月17日午後、誤嚥(ごえん)性肺炎のため77歳で亡くなったことが報道されました。

 

林家こん平さんは結婚して子供もいましたが、娘さんの笠井咲(かさいさき)さんが最後まで父のために介護されていました。

 

そんな笠井咲さんは、林家こんぺいさんが若い頃に取っ組み合いの大げんかになることもあったとか。

 

この記事では笠井咲さんの経歴プロフィールや、林家こん平さんの家族エピソードについてまとめてみました。

 


笠井咲の経歴プロフィール!

 

まずは林家こん平さんの娘・笠井咲さんの経歴プロフィールです。

 

 

・名前(本名):笠井咲(かさいさき)
・生年月日:1967年生まれ。2020年現在、50歳
・出身地:東京豊島区
・血液型:B型
・趣味:海外旅行・華道
・最終学歴:短大卒業

・職業:会社社長(株式会社EMIプランニング)1998年~
・配偶者:なし(離婚)

 

林家こん平さんの次女として生まれた笠井咲さんは、幼い頃から『林家こん平さんの娘』としてテレビや雑誌にも出ていました。

 

結婚されても仕事先では、『旧姓・笠井』を名乗っていました。(のちに離婚)

 

笠井咲さんは短大卒業後、政党本部総務部に勤務しながら、会議や党首会談で海外からのお客様の接待をされていて、その後はアパレル業界や医療系、報道系も経験されてきました。

 

その後は、結婚式やコンサートでの司会者をされており、仕事に対する幅広い見識をお持ちです。

 

そんな笠井咲さんは現在イベント業を手掛けていて、イベント企画会社「株式会社EMIプランニング」の代表を務めています。

 

 

 

会社設立のキッカケは、林家こん平さんが脳出血で倒れて介護が必要になったことから。

 

笠井咲さんの会社の公式ホームページに書かれてある挨拶文には、「落語家の家に生まれた以上、守るべき伝統や格式は守りながら、落語に触れていただく機会をより多くの方に持っていただきたいと考えております。」と書かれています。

 

「落語家の娘」という格式を守っていきたいとされ、父の落語に対する想いを少しでも受け継いで広めていきたかったのです。

 

 

笠井咲さん仕事と介護を両立!父との大げんかエピソードも

 

笠井咲さんは若かりし頃、お父さんの林家こんぺいさんと大げんかになることもあったとか。

 

こちらは2018年12月13日に林家こんぺいさんと笠井咲さんが「徹子の部屋」に出演した時の画像です。

 

 

林家こん平さんは若い時は大酒飲みで毎日のように飲み歩いてはろくに家に帰ることもなかったので、笠井咲さんはそんなお父さんが大嫌いになり度々大喧嘩になっていました。

 

そんな笠井咲さんでしたが、林家こんぺいさんが脳出血で倒れた1998年に、介護を始めたことがきっかけとなり、仲直りすることが出来たんです。

 

とはいえ実際の介護はやはり大変で、笠井咲さんは、妹さんと父の門弟らとで交代で介護を引き受けていました。

 

右半身も麻痺で左の足も悪くなってからは、排泄などの介護や座る時の移動も、重い体を持ち上げてあげなくてはならず本当に過酷だったとのこと。

 

笠井咲さんの妹さんがメインで平日の朝~昼を担当してから、笠井咲さんが週4回ほど行い、あとはヘルパーさんなどの力も借りてなんとかやっていたのだとか。

 

『多発性硬化症』と診断されてから、林家こん平さんは、病院が嫌いで『仕事に戻らせてくれ。』と娘さんを困らせる発言の日々が続いて、家ではテレビの『笑点』は消していたそうです。

そして実はこんぺいさんの奥様も、1998年に脳出血を発症して糖尿病になり、次女の咲(えみ)さんと妹さんがずっと介護をされていたんです。

 

やっとお母さんの介護に慣れてきたというところで、お父さんまで病に倒れてしまい、介護に続く介護の生活を送っていたということで、笠井咲さんら娘さんは本当に大変なご苦労をされていたんです。

 

最後まで献身的に尽くされて本当に素晴らしい娘さんです。

 

林家こん平プロフィール!死因や病名についても

 

ここからは笠井咲さんのお父様、林家こん平さんの経歴プロフィールについて振り返ってみたいと思います。

 

 

・名前:林家こん平さん(本名・笠井光男(かさいみつお))

・生年月日:1943年3月12日(2020年12月17日、77歳で死去)

・出身地:新潟県刈羽郡千谷沢村(現:長岡市小国町千谷沢)

・血液型:A型

・師匠:初代林家三平さん

・出囃子:『佐渡おけさ』

・特技:卓球

 

林家こんぺいさんは落語家として、これまで精力的に活動してこられて、落語協会に所属していながら晩年には、落語協会の理事を歴任するものの、持病が悪化したことから、2006年4月に相談役になりました。

 

林家こん平さんに付いてあまりよく知らない方でも『笑点』でオレンジ色の着物を着た落語家さんとして有名で、自己紹介の「1、2、3、チャラ~ン」だけは知っている方も多いです。

 

 

「こんぺいちゃん」の愛称でも親しまれ、放送開始から長らく大喜利メンバーの一人だったのですが、病気が原因で約1年間の休演を経て降板することになり、現在は弟子の林家たい平さんが後任として出演中です。

 

持病を持っていた林家こん平さんの死因は、誤嚥(ごえん)性肺炎のため死去となりました。

 

誤嚥(ごえん)性肺炎とは?

細菌が唾液や食べ物などと一緒に誤嚥され、気管支や肺に入ることで発症する疾患。
誤嚥性肺炎を起こすのは、高齢の人や脳梗塞の後遺症やパーキンソン病などの神経疾患を抱えている人が多い。

 

林家こん平さんは、2004年8月の24時間テレビに出演した直後、お弟子さんから「師匠の意識がもうろうとしています。」と連絡があり、この時は声帯を患い、右半身が動かない状態となっていました。

 

もともと声帯は悪く、カラダを動かしながら大きな声を無理矢理張上げていたことも分かり、病院では2005年に『多発性硬化症』と診断。

 

『多発性硬化症』とは脊髄や脳の炎症が原因で手足も麻痺してしまう『難病』です。

 

その後林家こんぺいさんは、容体は落ち着きましたが、言葉に障害が残って、手足も不自由な状態で今までのようには過ごせなくなり『笑点』に復帰することは残念ながら叶うことはありませんでした。

 

一時ははリハビリの成果で、大好きな卓球のラリーも少しできるくらい回復したのですが・・・。

 

その後、持病の糖尿病が悪化し再び2013年に入院。

 

左足の壊死が進行してしまい、足の指を3本切断することになり、この時は心肺停止にもなったそうです。

 

その後リハビリに励む姿が2014年の『24時間テレビ』で放送されていましたが、その頃から、軽い脳梗塞を患っているような発言もあり、2005年7月に難病指定されている「多発性硬化症(MS)」であることを公表されました。

 

林家こん平さんにとって「言葉」が不自由になったことが引退の1番の理由ですが、多発性硬化症(MS)で入院し、リハビリしている最中に、復帰出来るかどうか精神的に不安定になった時期があり、病室の窓から飛び降りを行うとしようした過去があったことがわかっています。

 

長期の闘病で精神的にも追い込まれてしまった結果だと思うのですが、もしものことに至らなくて何より。でもついに帰らぬ方となってしまい、とても残念です。

 

林家こん平さんのご冥福をお祈り申し上げます。

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