朝ドラ「ブギウギ」は「ブギの女王」笠置シヅ子さんをモデルとした、ヒロイン・福来スズ子の生涯を描くストーリー。
第4週では、鈴子が弟の六郎と共に香川に行くシーンが登場。
そこで鈴子は養女であり、六郎と血がつながってないことが判明します。
本当のお母さんに会いに行こうとする場面も。
この内容は史実通りだったのでしょうか。
今回は「ブギウギ」において鈴子が養女になったいきさつと本当の両親について、笠置シヅ子さんの生い立ち(史実)を元にお伝えします。
(ネタバレを知りたくない方はご注意ください)
「ブギウギ」香川編で描かれる鈴子の出生について
朝ドラ「ブギウギ」4週目の放送で、1934年(昭和9年)のある日、スズ子の母ツヤのもとに、香川にいる妹のタカから手紙が届きます。
ツヤの実家である手袋工場の得意先で、地主の次郎丸家の法事に鈴子に出席してほしいという内容でした
次郎丸家のじいさんである和一(石倉三郎さん)は梅丸のファンでスズ子に会いたがっているということでした。
鈴子の実の父である治郎丸菊三郎の父・治郎丸和一(石倉三郎さん)
休暇に入ったスズ子は、弟の六郎と二人で香川に向かいます。
母ツヤの実家に着いた2人は祖母のトシさん、叔母のタカ、父・梅吉の弟・松吉たちから歓迎されます。
ツヤの母であり鈴子の祖母・大西トシ(三林京子さん)
鈴子と六郎は、父の梅吉が元々役者志望だったことや大阪へ行こうとした梅吉に、母ツヤが自分からついてきたことなどを聞かされます。
そして翌日、2人は地主の次郎丸家へ向かいます。
和一の息子である菊三郎の法事が行われてる最中、鈴子は和一の自分に対する態度がおかしいことに気づきます。
トシたちは必死にごまかすのですが、タカが隠しきれなくなり鈴子が本当は菊三郎の子供であることを明かしてしまいます。
ここで、鈴子が自身の出生の秘密を知ることに。
つづきの第5週「ほんまの家族」で、その経緯を知ることになります。
すずこの本当の母親は次郎丸家で女中をしていたキヌ(中越典子さん)という女性でした。
キヌは治郎丸家で女中をしていて、その後隣村の農家に嫁いでいます。
当時身ごもったキヌは、治郎丸家を追い出され、実家にも拒絶され途方に暮れていました。
そんなキヌを助けたのが、友達のツヤだったのです。
母乳の出の悪いキヌに代わって鈴子に母乳を与えていたツヤ(水川あさみさん)。
ツヤは息子の武一を連れて香川に帰省。
キヌはツヤの実家で鈴子を産みました。
ツヤは実家から自宅のある大阪に鈴子を連れ帰り、夫・梅吉とともに育てます。
第1週目で香川から帰ってきたツヤがもう一人赤子を抱いていましたが、梅吉は不思議そうな表情をしながらも「まあ、一人くらい増えてもどうってことないな」とおおらかに言っている場面がありました。
当初はツヤは、キヌが育てれる余裕ができたらスズ子をキヌに返すと伝えてたのですが、そうならなかったのでした。
今日は「香川編」に登場するキヌさん、治郎丸さん、トシさんと、ある事情で銭湯「はな湯」にやってくる女性・光子さんをご紹介しました。
香川編はモデルの笠置シズ子さんの出生地、香川県東かがわ市と丸亀市でロケを行いました。美しい風景をどうぞお楽しみに💃#ブギウギ pic.twitter.com/X5WJk8CCXM
— 朝ドラ「ブギウギ」公式 (@asadora_bk_nhk) September 7, 2023
兄と自分の誕生日からうすうす気が付いていたようですが、17歳の鈴子の心の内を思うと、とっても切ないですよね。
笠置シヅ子さんが養女となった理由や経緯について
朝ドラ「ブギウギ」は花田鈴子は次郎丸菊三郎と鳴戸(鳴門)いとの間にできた子どもで、生後まもなく花田ツヤ(新しいタブで開く)に養子として引き取られます。
鈴子のモデルとなった笠置シヅ子さんも、実は生後6ヶ月にして亀井うめさんに養女として引き取られます。
「ブギウギ」において登場する西野キヌ(中越典子さん)が鈴子の実の母親であり、
笠置シヅ子さんには生みの親と育ての親がいたというエピソードは、NHK朝ドラ「ブギウギ」の第4週「ワテ、香川に行くで」と第5週「ほんまの家族」でも登場しました。
NHK朝ドラ「ブギウギ」のヒロイン・花田鈴子(趣里さん)のモデルとなった笠置シヅ子さんには、血のつながった実父がいます。
香川県大川郡引田町に住んでいた住友菊三郎という男性です。
笠置シヅ子(本名:亀井静子)さんは1914年(大正3年)8月25日、香川県大川郡相生村(現;東かがわ市黒羽)で生まれました。
引用元:https://www.nikkei.com/
出産後ほどなくして子供の父親が亡くなってしまったことで、母親は実家に戻り赤ん坊(笠置シヅ子さん)を育てることになるのですが、
母乳の出が悪かったため、偶然出産のために近所に帰省していた女性(亀井ウメ)に母乳を分けてもらっていたとのこと。
その時、実の母親は18歳ほどと若かったこと、また、もともと虚弱な体質だったり、妊娠中の状態がよくなかったりしたのか、母乳の出も悪かったことで一人で育てられるか不安だったのかもしれません。
また、母乳をあげていた女性も母乳をあげているうちにだんだんと情が湧いてきたということもあったのでしょうか、
これが縁となり、笠置シヅ子さんは母乳を与えてくれていた女性とその夫(亀井音吉)によって育てられることとなりました。
笠置シヅ子さんの実の母親は谷口鳴尾さん、父親は三谷陳平さん。
笠置シヅ子さんの実の両親はどのような方だったのでしょうか。
また、どのような経緯で自身が養子であるのかを知ったのか、その経緯についてまとめてみました。
実の両親について
笠置シヅ子さんの実の父親・三谷陳平さんは、香川県大川郡相生村にて製糖業を営む豪農・三谷家の長男で郵便局に勤めていました。
母親である谷口鳴尾さんは、その三谷家にて和裁を習いながら家事見習いとして同居していました。
やがて鳴尾さんは身ごもりますが、陳平さんの両親は二人の結婚を認めず、母・鳴尾さんは実家に帰って出産。
その後、父・陳平さんは、笠置シヅ子さんが生まれた翌年、我が子の顔を見ないまま25歳の若さで病死してしまいました。
出生の秘密を知った経緯について
17歳になった頃、笠置シヅ子さんは親戚の法要だということで、母ウメと一緒に三谷家の法要へと行くこととなりました。
↑18歳ごろの笠置シヅ子さん
その法要は自身の父である陳平さんの17回忌の法要でした。
法事の帰り大阪へ帰る船が天候不良で欠航に。
その為しばらく香川に滞在することになりました。
その後、大阪からウメ母に「すぐ帰ってこい」と言われた為、母のウメだけ先に帰阪しました。
ところが残ったシヅ子さんが、親戚が妙な噂をしているのを聞いてしまいました。
その噂が実母が法事に来ていたという事です。
気になったシヅ子は叔母に詰め寄り事実を知ったのでした。
そこで、こそこそと話していた親戚たちの会話から自身の出生の秘密を知ることに。
ただ、同い年の兄・正雄(3歳で早世)と誕生日が1ヵ月違っていることに気付いており、もしかすると正雄とは母が違っているのでは?との思いを持っていたとのこと。
その後、叔母から実の母が法要に来ていたことや近所に住んでいることを聞きだすと、母・谷口鳴尾さんに会いに行ったそうですが、
母である鳴尾さんは5・6歳くらいの男の子を連れていたため、娘であることは名乗ることができなかったそう。
母・鳴尾さんも母親だと名乗ることはなく、笠置さんの姿を見ても涙ひとつ見せずに、「(笠置さんが)幼い頃、子守をしたことがある。早く出世して大阪の両親を安心してあげるように」と告げたそうです。
それ以来、母・鳴尾さんと会うことはなく、育ての両親にも実の母と対面したことはおろか、自分が養女であることに気付いたことすら明かさなかったとのことでした。
この時の会話は笠置シヅ子の自伝で語られています。
養女の事実を知ったシヅ子のその後は?
実母の存在の事実を知ったシヅ子はそのまま実母に会いに行きました。
実母の商売は仕立屋で、すぐに見つけて会うことができたそうです。
しかし35.6歳だった実母は痩せていて、陰気な印象を受けたとシヅ子は振り返っていました。
しかし、実母は自分が「母」とは一切話さず、あくまでもシヅ子の小さい頃を知っていたという話だけたんたんと話し、涙も見せなかったそうです。
シヅ子はその話を聞き、特に話すこともなく挨拶もせず、外に飛び出し泣いたそうです。
それを見た実母も罪悪感が生まれたのか、外に出てきて、シヅ子に謝ったのでした。
そしてシヅ子に父親の形見(金無垢の腕時計)の入った小箱を渡し別れます。
シヅ子と実母はこの日を最後に二度と会う事はなかったそうです。
ブギウギ朝ドラ鈴子は養女・おわりに
今回は「ブギウギ朝ドラ鈴子は養女!笠置シヅ子の史実から理由や経緯を調査」と題してお届けしました。
「ブギウギ」のヒロイン・鈴子には出生の秘密があり、その秘密とは養女であること。
そしてモデルとなった笠置シヅ子さんの史実も実は養女であることが分かりました。