NHKの朝ドラ「エール」で主人公の古山裕一を演じるのは、窪田正孝さん。
その主人公の、小学校の担任・藤堂先生を演じるのは、森山直太朗(もりやまなおたろう)さんです。
森山直太朗さんが演じるのは、裕一が通っていた小学校の音楽教師・藤堂清晴(とうどうきよはる)。
この藤堂先生のモデルは実在するんでしょうか?
また、ドラマの第1話で藤堂先生のお墓が出てきたのはどういう意味なんでしょう?
今回は「エール藤堂先生のモデルは誰でお墓の意味のネタバレ!森山直太朗演じるキャストの名言もチェック」と題して、調べてみました。
エール藤堂先生のモデルは実在する?
森山直太朗さんが演じる、裕一の恩師・藤堂先生こと、藤堂清晴のモデルは誰なんでしょうか??
主人公である窪田正孝さん演じる古山裕一のモデルは、天才作曲家の古関裕而さんです。
ドラマでは、藤堂清晴は古山裕一の恩師です。
実際には、古関裕而さんの恩師がモデルになっていました。
その恩師とは、古関裕而さんが小学生のときに担任だった遠藤喜美治(えんどうきみはる)さんです。
藤堂先生は、裕一の才能を開花させたと言える人物です。
裕一が小学校を卒業したあとも交流は続きます。
実在のモデルである、遠藤喜美治さんは、福島県の農家に生まれました。
遠藤さんは学校を卒業したのちに、勉強をしながら小学校の用務員のような仕事をして、中卒検定に合格しました。
当時はこの資格があれば代用教師の資格をとることが可能な時代でした。
代用教師となったあともさらに勉強を続け、のちに正式な教師となります。
正式な教師となった遠藤喜美治さんは、福島師範付属小学校で教師として働くことに。
古関裕而さんがその福島師範付属小学校に入学したのは、大正時代の1916年です。
遠藤先生が古関裕而さんの担任となったのは、古関裕而さんが小学3年生のときで、それから4年間担任をされたそうです。
古関裕而さんは最初に音楽指導をしてくれたのが遠藤先生、と語っておられます。
遠藤さんは大変な音楽好きで、自ら作曲をするだけでなく生徒たちにも童謡をつくらせるほど、音楽教育に熱心だった先生でした。
そのこともあって、古関裕而さんは作曲が楽しくて、唱歌は最も楽しみな授業になった、と語っておられます。
遠藤喜美治さんはその後、北海道に転勤され、上京してからは、塾を開きました。
遠藤喜美治さんはとても勤勉で、音楽の教育雑誌に論文を書いたり。手紙の範例といった書籍も出版されています。
古関裕而さんが大人になってからも交流があり、遠藤さんが卒業した福島県の要田小学校の校歌を、お二人で作っています。
そんな遠藤喜美治さんは、1971年、80歳でお亡くなりになりました。
エール藤堂先生の出征の謎とは?
エールのドラマは9月14日の放送再開以降は、戦時下へ場面が変わっていきます。
古山裕一は、吟の夫の鏑木から「露営の歌」に続く、軍歌(戦時歌謡)を作ってほしいと頼まれ、作詞は鉄男が書くことを条件に曲を作ります。
ところが鉄男はなかなか軍部の希望するような勇ましい歌詞が書けません。
そのため何かきっかけをつかもうと二人で故郷の福島を訪ね、裕一の実家でしばらく過ごします。
するとそこへ、かつての恩師だった、藤堂先生が妻の昌子さん・息子さんと共に訪ねてきてくれたのです。
そこで藤堂先生は、裕一たちに出征することが決まったと、思いがけない事実を告げるのです。
そして藤堂先生は、鉄男に戦地に旅立つ自分のことを思って歌詞を書いて欲しいと言います。
藤堂先生は、鉄男が作詞した「福島行進曲」が大好きな曲だと言ってくれます。
「歌は人の気持ちに寄り添ってくれる。戦地に行った時に心のよりどころになってくれるような曲を書いてくれないか。」
その藤堂先生の願いを受けて、鉄男(中村蒼さん)は恩師への思いを込めて歌詞を書きました。
数日後、東京に戻った鉄男は、裕一とともに陸軍の智彦のもとに足を運んで、鉄男が書き上げた歌詞を披露し、戦地に旅立つ人への祈りを込めた歌詞への思いを智彦(吟の夫)に語ります。
そしてついに鉄男の歌詞が採用されることになり、裕一が作曲し、鉄男が作詞、佐藤久志が歌う『暁に祈る』は発売されて大ヒットを記録!
ついに小山裕一たちの悲願であった「福島三羽ガラス」が世に出るのです。
裕一、大将、プリンス久志たち三人の願いであった三人揃ってのデビューのきっかけを作ったのは三人の恩師である藤堂先生でした。
恩師によって音楽の道に進んだ三人たち。
再び恩師によって今度は、3人揃って音楽の道で成功することになります。
そして、藤堂先生の戦争へ向かう場面が再開放送前の予告画面で流れてから、ネット上では、出征の謎が出始めています。
藤堂先生のモデルとされる人は裕一(というか古関氏)より18歳年上で、終戦時には50歳を超えているので当然出征はしていないし、戦死もしていない(というか、東京オリンピックのときも生きている)。#藤堂先生出征の謎
— ほうじ茶 (@BegaChin) September 8, 2020
これは、確かに実際の時代考証を考えると、このような疑問が出てしまうのは仕方がなかったですね。
ドラマでは、藤堂先生のお父さんは、軍人という設定になっています。
藤堂先生は若い頃は、軍人の父に反発して教師を目指すことになりました。
ですが、年を重ね家族を持つようになってから、父の考えにも共感できるようになり、お国のために軍人への道を志すことを決めています。
福島を訪れた裕一たちに、藤堂先生は予備役将校だったことも伝えていました。
なのでそこから出征の命令が下ったということです。
それだけ戦時下への状況が悪化しているということがドラマの中で伝わってきます。
エール藤堂先生のお墓は戦争で戦死?昌子への手紙とは
藤堂先生に関して気になるのが、エールの第1回放送の冒頭で描かれた、鉄男がお墓参りをする場面です。
産みの苦しみを経て「暁に祈る」の曲の歌詞が完成したのは、戦地へ旅立つ藤堂先生への想いを鉄男が受けとめることが出来たからでした。
実際の放送でどう描かれるかは、見てからとなりますが、藤堂先生は残念ながら出征先にて戦死されることに。
初回放送で描かれた藤堂先生のお墓参りをする場面は、一連の悲劇の回収となります。
藤堂先生の妻である、昌子さんが出征の場面で涙されていたのが、切なくてたまりませんでした。
10月9日(金)放送では、裕一が音楽慰問のために戦地ビルマへ行ってほしいと軍部から要請がありました。
行先のビルマと言えば「インパール大作戦」が展開される激戦地でした。
慰問先のビルマで裕一は藤堂先生と偶然再会出来、藤堂のいる戦場でコンサートを行おうとします。
歌上手い、、、、当たりまえか、、 #エール 森山直太朗 pic.twitter.com/c2EJlfcg5e
— にわとまと (@snowcat5201) October 12, 2020
藤堂先生は裕一に「俺が死んだら渡してくれ。」と言って妻の昌子宛ての手紙を託します。
裕一は「こんな手紙受取れません。」と言いますが、藤堂先生はこの時覚悟していました。
そして翌朝本番を迎えて、もう一度練習しようと裕一が指揮の手を上げたその時、乾いた銃声がして、敵が狙撃しました。
藤堂先生が裕一を車の下に匿ってくれましたが、残念ながら先生は撃たれてしまいます。
「最後にお前に会えてよかった、、、。妻と息子への手紙を頼みます。」と言って力尽きたのでした。
この場面見ていて、すごく恐くて辛く悲しい思いになりましたが、この回ほど朝ドラを見ていて辛く、又見ていて良かったと思ったことはなかったです。
よくここまで描いて下さったと思います。
【エール】藤堂先生の名言が話題!素敵な言葉で裕一に影響が!
森山直太朗さん演じる藤堂先生は、裕一に様々な名言を送っています!
最初のエールは、第5話です。
裕一の秀でた音楽的才能に驚いた藤堂先生が「人よりほんの少し努力するのがつらくなくて、ほんの少し簡単にできること、それがお前の得意なものだ。」
「それが見つかれば、しがみつけ。必ず道は開く!」と伝えていました。
第6話では、貧しさから借金を重ねて夜逃げする魚屋の息子・村野鉄男(込江大牙くん)に「頼ることは恥ずかしいことじゃない。自分の才能から逃げるな。一生後悔するぞ!」と、素晴らしい言葉を送っています。
とっても先生らしい、先生ですね。
まとめ
今回はエールに登場する藤堂先生のモデルや、名言についてまとめてみました。
藤堂先生のような、子供の才能を見つけてくれる先生に出会えた裕一は、幸せですよね。
実際でも、古関裕而さんは、素晴らしい恩師との出会いによって、音楽家としての基礎を作りました。
最後までお読みいただきありがとうございました。