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【どうする家康】本田忠勝(平八郎)が3話で討死には本当?理由を考察

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NHK大河ドラマ「どうする家康」で登場している本田忠勝。

山田裕貴(やまだ ゆうき)が演じてて、カッコイイんですよね。

でも3話の予告動画で本田忠勝が「討ち死に」して、土に埋められてるような場面が。

本田忠勝は徳川四天王の一人だったはず。

どういうことなのか??理由を考察してみました。

 

 

【どうする家康】本多忠勝(山田裕貴さん)これまでの流れについて

まずはどうする家康の第1話から2話までを、少し振り返ってみます。

第1話で描かれた「桶狭間の戦い」のシーン。

山田裕貴さん演じる本多平八郎忠勝は、この戦いが初陣となり、13歳という設定です。

桶狭間の戦いは、織田信長(岡田准一さん)軍に奇襲を受けた今川義元(野村萬斎さん)が死んでしまいます。

松平元康(家康・松本潤さん)は、そのショックと恐怖から守っていた大高城から逃げ出して、近くの海をさまよい歩きます。

するとそこに馬に乗った本田忠勝がやってきて、長槍を松潤・元康に投げつけます。

今にも海に流されそうになる家康をみつけだしたのが、家臣の本多忠勝(通称:平八郎)です。

ちなみにNHK土スタ(1月14日放送)に松本潤さんがゲスト出演されてまして、

このシーンは一発撮りOKとなったのだとか。

鎧の衣装は約60㎏あるとかで、一度濡れると感想に時間がかかるそうです。

山田裕貴さんは、この場面撮りの時、松本潤さんが本当に流されそうになったので、

機転を利かしてあのような演技となったそうです。

山田裕貴さん、カッコイイです~!

倒れこむ松平元康と本田忠勝は、激しい格闘を繰り広げ、忠勝は元康の首元を掴み言います。

「お前三河もんか!!」

忠勝のその言葉に「主君と知っての狼藉か!」と迫る元康。

すると忠勝は「恥ずかしくないのか!!主君などと俺は認めん・・」と怒号をあげます。

本田忠勝により、泥まみれの姿で松平元康は城に連れ戻されます。

続いての第2回では、家康が今川の領地駿府城に戻るか、織田に下って本領である三河の岡崎に戻るか迷いに迷う姿が描かれました。

元康は瀬名に会いたいがため、駿府に戻ろうとするのですが、

松平昌久(東京03・角田晃広さん)のだまし討ちにあい大きな犠牲を出してしまうことに。

どうすればいいのか分からなくなった家康は松平家の菩提寺に逃げ込み、亡き父の墓前で手を合わしてある決意をします。

それは自分の首を差し出し、家臣たちの命だけでも救ってもらおうというもの。

妻・瀬名(有村架純)と子供たちを思い涙を流し、腹に脇差を押し当てていると、

またしてもそこに本田忠勝が現れます。

「俺でよければ介錯してやる!」

そういいながらも、本田忠勝は自身の本心を伝えます。

それは「いつの日か元康殿を主君と仰ぎ、自分の祖父や父のように主君を守って死ぬことだ。」と。

そんな忠勝の思いを知って再び涙を流し元康は「厭離穢土欣求浄土」の経を唱えました。

汚れたこの世を離れて、極楽浄土え行けと言う浄土宗の教えです。

と同時に家康は幼いころの信長とのやり取りも思い出します。

「地獄を生き抜け!そしていつか俺がお前の国を奪い合い、食らってやる!」

岡田信長のそんな言葉に「竹千代(家康)がそなたを食らってやる」と強いまなざしで言い返した、幼き日の家康。

そんな過去を思い出した元康、いつしか闘志が蘇り、三河の岡崎に戻っていかなる敵からも家臣たちを守って見せると決意します。

こうやってみていくと、第2回までに、本多平八郎忠勝の印象的なシーンが描かれてるので、今後の本田忠勝の活躍が期待出来そうなんですよね。

 

 

【どうする家康】本田忠勝(平八郎)が3話で討死には本当?史実をチェック

それなのに、1月22日放送の・第3話予告で討ち死にしたかのような目を閉じている、本多忠勝の姿が!

3話で本田忠勝は討ち死にとなって、終了するんでしょうか?

当ブログの予想では討死では終わらないと予想します。

その理由として今回「どうする家康」では、これまでに考えられなかった徳川家康像が描かれています。

家康はこれまでのドラマや映画では、強いイメージで描かれてます。

それが今回「え?家康大丈夫?」と思わずにはいられないお姿。

その家康を叱咤激励されてる、本田忠勝。

ですがさすがに「徳川四天王」の本田忠勝殿が、3話で終了とはならないでしょう。

砂に埋もれた本田忠勝をみて、家康も「これではいけない」と自国の領土を守るために奮闘するのだと予想します。

徳川家康の家臣・本多忠勝は、戦国武将の中でも「徳川四天王」・「最強武将」として、2023年現在でも人気の高い人物です。

本田忠勝は、57回の戦いの中でもかすり傷一つ無かったということから、無敵の人物と言っても良いですよね。

「ただ勝つのみ」という願いから付けられた名前「忠勝」は、まさに名が体を表しています。

そんな本田忠勝ですが、年齢は家康より4つ年下

「どうする家康」では家康を頼りなく思っているように描かれていましたが、史実では家康との関係性や仲は当初から良好でした。

ちなみに「徳川四天王」の一人、本多忠勝は、酒井忠次、榊原康政、井伊直政とともに呼ばれています。

本多忠勝は、松平家家臣・本多忠高のもとに誕生。

本田忠勝が2歳の頃に父・忠高は戦死し、叔父の本多忠真のもとで育ち、桶狭間の戦いにて初陣を飾ります。

その後、本田忠勝は印象的な兜を制作。

「鹿角脇立兜」と呼ばれ、本田忠勝のトレードマークとなっています。

そう言われてみれば、大河ドラマの中でも四天王の4人の中で、何か一番カッコイイ感じがします。

(あ、でも榊原康政さん演じる杉野亮平さん、井伊直政演じる板垣李光人さんらが鎧着て登場したら、イケメン武将がもっと増える?!)

今回、NHK大河でフューチャーされることもあり、ゆかりの地の岡崎市では本田忠勝の兜をかたどったパフェが食べられるそうです。

本田忠勝と言えば「蜻蛉切(とんぼぎり)」という長い槍で戦ったことも知られています。

これは三河の一向一揆のあたりから使われ、その長さは6m近くもあったと言われています。

その後も徳川家康の家臣として「姉川の戦い」「一言坂の戦い」「小牧長久手の戦い」などで活躍する、本田忠勝。

1600年の関ヶ原の戦いまで57回の戦に関わるも、無傷だったと言われている本田忠勝。

その領地は1590年に上総国大多喜10万石。

その後1601年に伊勢国桑名に領地替えされ10万石を有する大名となります。

そんな無傷の猛将、本多忠勝も病には勝てず、1603年に眼病を患ってからは幕府で目立った活躍はせず後に隠居。

1610年に63歳で亡くなったとのこと。

岡崎城にある資料館の情報によると、本田忠勝は細身の武将で、強く見えるように肖像画を8回書き直させたなんて逸話もあったそうです。

 

 

【どうする家康】本田忠勝(平八郎)・まとめ

今回は山田裕貴さん演じる本田忠勝平八郎について、お伝えしました。

山田裕貴さんが長い槍を持って「本多平八郎忠勝!こたび初陣を務めさせてござりまする」と登場するシーンがカッコイイ。

家康こと松平元康の松平家の譜代家臣に生まれた本田忠勝は、桶狭間の戦いで初陣を果たしました。

その後も家康の数々の戦いに参加して、数多くの武功を立て、槍の名手と言われた男でした。

織田信長や武田信玄にも称賛された猛将ということが分かり、

男気があり、義を重んじ、筋の通らないことは大嫌いな性格。

「どうする家康」の本田忠勝は、一方で女性に対して奥手な一面もあるという役どころのようです。

本田忠勝は、度々弱気になる家康を遠慮なく諫めていくことになるようで、

この流れだと、史実通りに当分の間も家康の片腕として登場してくれそうです。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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