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ブギウギ朝ドラ大和礼子(蒼井優)のモデルは飛鳥明子!史実はどうなった?

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朝ドラ「ブギウギ」で、ヒロイン・鈴子が父梅吉と一緒に梅丸少女歌劇団の舞台を見ることに。

そこで鈴子は、娘役トップの大和礼子(蒼井優さん)が歌い踊る姿にくぎ付けになりました。

その後鈴子は、憧れの梅丸少女歌劇団(USK)に合格。

そんな梅丸少女歌劇団(USK)の娘役トップ・大和礼子に実在のモデルはいるのでしょうか。

今回は大和礼子さんのモデルとされる飛鳥明子さんについて、史実を元に調査しました。

それではどうぞ。

 

 

ブギウギ大和礼子の実在モデルは飛鳥明子さん

まずは朝ドラ・ブギウギに登場する、蒼井優さん演じる大和礼子について見ていきます。

  1. 大和礼子は朝ドラブギウギ・第5話から登場。
  2. 大和礼子は梅丸少女歌劇団(USK)・1期生で娘役トップ
  3. 大和礼子は梅丸少女歌劇団(USK)の入団について、両親から反対を受けてる

 

ちなみに大和礼子を演じる蒼井優さん、意外にも今回の朝ドラが初出演なのだそうです。

 

ブギウギ大和礼子のモデルはどんな人?

大和礼子の実在モデルは、飛鳥明子(あすかあきこ)さんです。

飛鳥明子(あすかあきこ)

  • 1907年(明治40年)12月生まれ
  • 高等女学校卒業
  • 開業医の娘
  • 1922年(大正11ねん)大阪松竹少女歌劇団(OSSK)に入団、1期生
  • 飛鳥明子(あすかあきこ)さんは娘役トップとして活躍

飛鳥明子(あすかあきこ)さんは幼少期からクラシックバレエを習い、大阪・道頓堀でスカウトされました。

高等女学校を卒業後、大阪松竹少女歌劇団(OSSK)に特別性として「入団費免除」で入団しています。

飛鳥明子さんはトウダンスが得意で、娘役トップの座につきました。

当時は、令和の現在のようにバレエシューズが容易に手に入れることが出来なかったので、飛鳥明子さんは、代わりに包帯を巻いて練習していたことが有名な話として残っていることが分かりました。

飛鳥明子さんは包帯が血で真っ赤になっても練習を続けていたのだとか。

トウシューズだけでも慣れないうちは痛いのに、いくら才能があるとはいえ包帯だけでのバレエの稽古は辛いし痛かったと思います。

ブギウギのドラマでも、入団して間もない鈴子が慣れないバレエのお稽古でできてしまった赤い血豆に気付いた大和礼子が、鈴子に赤い布を渡すシーンがありました。

ですがそんな飛鳥明子さんの踊りはとても大胆で、最前列の人が驚いて受け身を取るほどだった、とのエピソードもあります。

2023年現在、残っている飛鳥明子さんの穏やかな顔画像からは想像できないですが、うって変わって大胆な踊りだったというのは興味深いですね!

実は、朝ドラブギウギと同じく、スズ子のモデルとなっている笠置シヅ子さんも、飛鳥明子さんに憧れ、大阪松竹少女歌劇団に入団しています。

笠置シヅ子さんは飛鳥明子さんの踊りが見たくて、舞台の本番中に顔を隠していたスカートを少し下げてしまうため、幹部から叱られたというエピソードが残っています。

そんな笠置シヅ子さんを、飛鳥明明子さんはバレエシューズの履き方から心構えまでいろいろなことを7歳年下の笠置シヅ子さんに教えて妹のように可愛がっていたようです。

このような逸話を元に、「ブギウギ」の大和礼子と福来スズ子の登場場面が作られているのかもしれません。

 

 

ブギウギ大和礼子の実在モデル・飛鳥明子さん!その後(晩年)は?

笠置シヅ子さんを可愛がっていた、飛鳥明子さんのその後はどうなったのでしょう?

史実を調べると大和麗子のモデル・飛鳥明子さんは、後に大阪松竹歌劇団で起きた「桃色争議」のストライキのリーダーに。

ところが、争議が収束後に大阪少女大阪松竹少女歌劇団を解雇されていることが分かりました。

「桃色争議」は、朝ドラ「ブギウギ」第3週・第4週で取り上げられていた「労働争議(ストライキ)」です。

飛鳥明子さんは「解雇」という最も重い処分となり、解雇されたことで、後輩たちを守った形となりました。

ブギウギ・大和礼子のモデルとなった飛鳥明子さん、解雇後にどうなったのか調べてみますと、振り付け担当として、大阪松竹少女歌劇団に再び戻っています。

しかも飛鳥さんは宝塚の指揮者と結婚しています。

そんな飛鳥明子さんですが、1937年(昭和12年)8月に病で亡くなっています。

享年29歳という若さでした。

ちなみに、↓のSNSは、飛鳥明子さんのお孫さんだという土井孝司さんのアカウントです。

 

 

 

大和礼子(蒼井優)のモデルは飛鳥明子!まとめ

今回は「ブギウギ朝ドラ大和礼子(蒼井優)のモデルは飛鳥明子!史実はどうなった?」と題してお届けしました。

  • 「ブギウギ」大和礼子の実在モデルは飛鳥明子さん
  • 大和礼子のモデル飛鳥明子さんは桃色争議の大阪松竹少女歌劇団のリーダーをしていた
  • 大和礼子のモデル飛鳥明子さんは桃色争議の後、大阪松竹少女歌劇団を解雇となった
  • 大和礼子のモデル飛鳥明子さんは後輩のために解雇されたと言われている
  • 大和礼子のモデル飛鳥明子さんは29歳の若さで病死

こうやって見ていくと、この時代の女性たちは力強いものがありますね。

当時の日本は令和の現在と違い、「男社会」が強く幅を利かせています。

そんな中、山に立てこもってでも信念を貫き通そうとする、当時の少女歌劇団員の力強さは、ある意味カッコイイと思います^^

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

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