NHK朝ドラ「ブギウギ(ぶぎうぎ)」は、ヒロインの花田鈴子・後のスター歌手・福来スズ子の波乱万丈の人生を描くストーリー。
ブギウギ第1話の冒頭で、主人公の福来スズ子がシングルマザーとして1人娘・アイ子を抱いているシーンが登場しています。
そうなると、モデルとなった実在の歌手・笠置シヅ子さんも、未婚の母だったのでしょうか?
今回は、笠置シヅ子さんの娘さんについて、今現在はどうしているのか?お伝えします。
笠置シヅ子の娘は亀井エイ子さん
趣里さん演じる鈴子のモデルとなる笠置シヅ子さんの娘は「亀井エイ子」さんという方です。
亀井エイ子さんの父親は、吉本穎右(よしもと・えいすけ)さんという方。
今ではお笑いのエンタメ会社としては頂点に君臨していると言っても過言ではない、吉本興業の創業者の吉本泰三(吉本吉兵衛)の次男という御曹司でした。
ちなみに母親の吉本せいさんは、朝ドラ「わろてんか」のヒロイン・藤岡てん(葵わかなさん)のモデルになった方です。
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【NHK連続テレビ小説『わろてんか』】…関西弁の葵わかなちゃん、めっさ良かったなぁ。 pic.twitter.com/WUMMdc3AAX
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笠置シヅ子さんと吉本穎右さんが出会ったのは、1943年(昭和18年)。
笠置シヅ子さんは1927年の13歳の時に松竹楽劇部(現在のOSK)に研究生として入団し、少女歌劇の舞台デビュー。
1934年には「恋のステップ」で歌手デビュー後、徐々に歌手として人気を集めます。
また、服部良一さんと出会ったことがキッカケとなり、スウィング歌手として厳しいレッスンを受ける日々が続きます。
その後、服部良一さんが作詞作曲した「ラッパと娘」で人気を獲得し「スウィングの女王」と呼ばれるように。
吉本穎右さんと出会った1943年は、世界第二次大戦が激しくなってきた時期で、笠置シヅ子さんの歌は「敵性音楽」と見なされ弾圧されるようになり、表舞台から離れて地方巡業の日々を送っていました。
そんな中、吉本頴右さんは笠置シヅ子さんの大ファンだったことから知人を通じて名古屋でふたりは知り合いました。
笠置シヅ子さんは当初、9歳年下だった吉本頴右さんを恋愛対象に見ていませんでしたが、ほどなくして2人は交際をスタート。
1945年には、笠置シヅ子さんが京都の巡業中に東京大空襲で三軒茶屋の自宅が焼失。
市ヶ谷にあった吉本頴右さんの自宅も焼けてしまい、2人は知人の家で一緒に暮らし、この期間に2人の愛がさらに深まったと言われています。
吉本頴右さんはシズ子さんとの結婚を意識していたそうです。
ところが2人は簡単に結婚できない状況でした。
というのも、吉本頴右さんは吉本興業の跡取り息子として期待されてたからです。
笠置シヅ子さんとの交際・結婚を母親の吉本せいさんが反対していています。
もともと体が弱かった吉本穎右さんは、芸能の仕事に専念したかったということもあり、終戦の翌年である1946年の昭和21年に早稲田大学を中退。
2人は東京に暮らしていたのですが、体が弱い吉本頴右さんのことを考え、万が一何かがあったら実家に申し訳がたたないと、笠置シヅ子さんは実家の大阪に帰るように勧めていました。
多忙な吉本頴右さんは、なかなか実家の大阪に帰れませんでしたが、ようやく大阪に戻った直後でした。
笠置シヅ子さんは吉本頴右さんの子どもを身ごもったのでした。
2人の結婚を大反対していた頴右さんの母親のせいさんは、妊娠をきかっけに態度は軟化。
その結果、翌1947年3月に吉本家の財産の整理が終わるので、その時に結婚と、子供を認知して入籍することで話はまとまっていました。
笠置シヅ子さんは、1947年2月の公演「日劇フェスティバルショー・ジャズカルメン」に主演を演じて、引退するつもりでした。
ところが、吉本穎右さんが肺結核を患い、東京に戻れなくなります。
笠置シズ子さんも臨月の身重で大阪に行けず、会うことが出来なかったのでした。
そんな中、なんと吉本穎右さんの訃報が・・。
子供の出産直前10日前でした。
訃報を知った時、笠置シヅ子さんは産婦人科に入院していました。
その時のショックは大変なもので、その場に泣き伏せてしまったそうです。
その後シヅ子さんは、1人の女児が誕生します。
初めての出産なのに身寄りが誰もいない心細い中での出産でした。
生まれたのは女の子で、「エイ子」と名付けられました。
実は吉本穎右さんの遺言で、男の子だったら穎造、女の子だったら「エイ子」と名付けるという遺言だったそうです。
笠置シヅ子さんの本名は亀井静子さんなので、娘さんの名前は「亀井エイ子」さんです。
ということで、シングルマザーとして「亀井エイ子」さんを育てていくことになります。
ちなみに、籍を入れて認知をする前に父親の吉本穎右さんが亡くなってしまったことから、エイ子さんは非摘出子、俗にいう私生児になってしまい、晩年には笠置シヅ子さんはそのことを非常に残念だと語っていたそうです。
また吉本家から、エイ子を引き取りたいと言ってきたそうですが、その申し出を断り、自分で育てることを決めます。
笠置シズ子さんは、ほどなくして恩師である服部良一さんに、愛する娘のために芸能界にカムバックするため、ふさわしい歌を作ってほしいと頼みました。
服部良一さんはこのシヅ子の言葉を受けて、作った曲が「東京ブギウギ」でした。
昭和22年に年末に発売された「東京ブギウギ」のレコードは大ヒットとなりました。
この歌のひっとにより、日本中にブギウギブームが到来するのでした。
笠置シヅ子さんは、赤ちゃんだったエイ子さんをあやしながら、懸命に仕事に打ち込み、エイ子さんを育てていたとのことです。
【最新版】笠置シヅ子の娘(亀井エイ子)に起きた事件について
「東京ブギウギ」の大ヒットで人気スター歌手となった笠置シヅ子さん。
1949年には東京財務局が発表した前年度の著名人の高額納税者のトップに次いで、2位となり、女性のトップになりました。
そして1952年(昭和27年)には、NHKの紅白歌合戦に初出場し、翌年2度目の出場で紅組の大トリをつとめるなど、順調に活躍を続けていきます。
そんな折、娘・亀井エイ子さんの誘拐未遂事件がありました。
1954年、笠置シヅ子さんに脅迫状が届きました。
内容は「天神橋下に6万円を置け。さもないと1人娘を殺す」という内容。
当時、サラリーマンの1か月のお給料は約1万円だったので、それほど高額ではないものの、娘が対象ということすぐに警察に連絡。
その後、犯人から9回の連絡があり、警察はその声をテープレコーダーに録音。
その後、シヅ子さんのマネージャーが犯人の指定した場所でお金を渡すタイミングで刑事たちが無事に犯人をとらえました。
娘には幸い被害はなかったものの、恐ろしい想いをした笠置シヅ子さん。
犯人は30歳の無職の男で、結婚を考えていたが失業。
金が必要になり犯行に及んだそうです。
当時、芸能人や富裕層を狙った身代金目的の脅迫・誘拐事件が多くなってきていた時期でした。
余談ですが、この時の犯人の男は1955年の昭和30年にも別の事件で同じ手口で脅迫、再逮捕されていることが分かっています。
↓の画像を見ると、今と違って昔は芸能人の自宅が雑誌に掲載されるような時代だったので、こういうところから犯人が自宅を特定していたのかもしれないですね。
映画ファン 昭和26年8月号「我が家は楽し」/ブギの女王 笠置シヅ子さんの御自宅拝見🌿 薄いグリーンに赤い屋根、白い壁、モダンで明るいこのお家の一番良い位置には、愛娘エイ子ちゃんのお部屋があり、その愛情の程を思わせます。 pic.twitter.com/jj8kGS8gtH
— 島倉千代菊 (@wataridori333) July 25, 2022
笠置シヅ子の娘の今現在はどうしてる?【顔画像】
笠置シヅ子さんは、1985年に享年70歳で卵巣がんのため、中野区の病院で亡くなりました。
当時の喪主は娘の亀井エイ子さん。そして葬儀委員長は、服部良一さんでした。
1985年に母親である笠置シヅ子さんを亡くしてしまった亀井エイ子さん。
2023年現在はご健在なのでしょうか?
亀井エイ子さんは、1947年(昭和22年)6月1日生まれで、2024年現在、76歳です。
亀井エイ子さんは、一般人のため、これまで情報はほとんど出てきませんでした。
ですがSNSの投稿から、2021年にテレビの取材を受けていたこともわかっています。
亀井エイ子がテレビに出るって珍しい。天下の吉本興業、唯一の直系子孫。最高の番組だな。 pic.twitter.com/cTNe1350qZ
— バカツル (@bakaturu) January 10, 2021
実は、笠置シヅ子さんに「フラワーデザインをやっていきたい」と相談した亀井エイ子さん。
笠置シヅ子さんは「花は添えものだから、まずは洋服を勉強した方が良い」と言われ服飾デザイナーの田中千代先生のところで勉強しながら、マミ川崎フラワーデザインスクールに通っていました。
卒業後は、フラワーアレンジメントを学ぶために渡米します。
当時の日本には西洋風のアレンジメントが少なかったそうですが、ビル・ヒクソンズスクールを卒業し、ディプロマを取得しています。
帰国後は大手ホテルのフラワー業に従事していた
その後、亀井エイ子さんは、シカゴで1年間フラワーショップで就職し修行をしていました。
そのままアメリカで働こうとしたのですが、母親のシヅ子さんから「そろそろ帰ってこい」と言われて、帰国したとのこと。
帰国後に大手ホテルのフラワー業に従事されていました。
個人アトリエ「ジャルダン・デ・フルール」を経営していた過去もあったそうです。
そんな亀井エイ子さんは、今回のドラマをきっかけに、再びメディアの取材を受け、ご健在であることがわかっています。
また10月29日には、「ブギウギ」放送に伴ったトークイベントに出演しています。
柳葉敏郎さんが来る!!
東かがわ市出身の笠置シヅ子さんをモデルとした連続テレビ小説「ブギウギ」。もうすぐ始まりますが、主人公の父親役を演じる柳葉敏郎さん、笠置さん実娘の亀井ヱイ子さんを迎えたトークイベントやります!!
これはキタ!
参加申込は以下リンクから!https://t.co/AAnllnqjva pic.twitter.com/5BdihUhqQw— 上村一郎@香川県東かがわ市長 (@ichiro0610) September 21, 2023
この当日のイベントで亀井エイ子さんから、母・シヅ子さんの新たなエピソードが聞けるかもしれないですね。
亀井英子さんは現在、笠置シヅ子さんに関する多くの書籍を制作、監修しています。
2023年に発売されたばかりの書籍「昭和ブギウギ 笠置シヅ子と服部良一のリズム音曲」のあとがきに、亀井エイ子さんが資料や写真を提供したことが記されています。
他にも笠置シヅ子さんに関する書籍の多くに、亀井エイ子さんが資料や写真などを提供しています。
以下の発売されたばかりの書籍でも編集協力として亀井エイ子さんの名前が記されていました。
このように、芸能人ではなく一般の方なので表立った活動はしていませんが、母親の笠置シヅ子さんのことを伝える活動はされているようです。
特に2023年は朝ドラ「ブギウギ」がスタートするにあたり、多くの新たな書籍が発売されていることから、もしかすると今後、亀井エイ子さんのお姿を拝見する機会があるのかもしれません。