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りく(牧の方)の最後は?ウザいほど悪女なのは史実通り?【鎌倉殿の13人】

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NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で、宮沢りえさん演じる、りく(牧の方)。

北条義時の父・時政パパが頂点に君臨中、りくは裏で操っているとも言ってよい位、その操縦ぶりがドラマで話題になりました。

とにかく憎たらしくてその悪女っぷりからか視聴者からは「嫌い!」という声も多数上がっています。

そんな嫌われ者として登場した「りく」は史実通り悪女だったのか、りくの最後どうなったのかも見ていきます。

それではどうぞ。

 

 

りく(牧の方)とは?北条時政の後妻で嫌いの声多数!

まずは改めてりく(牧の方)についてドラマで描かれたエピソードを見ていきます。

宮沢りえさん演じるりくは、史実では「牧の方」と呼ばれている女性。

時政パパ(坂東彌十郎さん)が京の都から迎えた後妻で、主人公の北条義時(小栗旬さん)にとっては義理の母親に当たります。

時政よりもりくの方が出世に熱心で、度々助言を与えて夫を操縦していきます。

年下の美しき妻・りくにぞっこんの時政パパは、りくのお願いなら何でも言うことを聞いてしまいます。

りくはあらゆることに口を出し、源頼朝(大泉洋さん)に亀の前(江口のりこさん)という愛人がいることが分かると、義理の娘にあたる政子(小池栄子さん)に、夫の浮気をこっそり密告します。

そして仕返しするようにけしかけるのです。

これが史実でいうところの「亀の前の事件」です。

ところが「亀の前」がキッカケでりくの兄の牧宗親(山崎一さん)も巻き込まれてしまいます。

そのため、りくは兄を助けてほしいと懇願しますが源頼朝は認めませんでした。

最終的には源頼朝の処断に時政パパが怒り、鎌倉を去って伊豆に戻ってしまうという展開に。

りくが何かけしかけると、騒動の火種を作って勃発してしまうのです。

又りくは京の出身。

実家の身分が高いため、人を見下したような態度を取ります。

そんなりくに対して放送当時「嫌い!ウザい!」という声がネット上でも毎週のように上がっていました。


確かに宮沢りえさん演じるりく、めちゃくちゃウザい~!と思いますが、それだけ宮沢りえさんの演技力がそう見えるんですよね。

 

【鎌倉殿の13人】りく(牧の方)と畠山重忠との争い

宮沢りえさん演じるりくは、第35回でその嫌われっぷりが頂点に。

ここからは、第35回のりくと時政パパ、そして畠山重忠の出来事を中心に見ていきます。

りくと時政の間には北条政範(中川翼さん)という嫡男がいました。

りくはその将来に期待をかけていたのですが、突如京都で謎の死を遂げます。

政範の死を悲しむりくのもとに近づいてきたのは、娘婿の平賀朝雅(山中崇さん)。

平賀朝雅はりくに「畠山重保(杉田雷麟さん)に毒を盛られて殺された。」と告げます。

畠山重保とは、畠山重忠(中川大志さん)の嫡男です。

この話を鵜吞みにしたりくは、時政に「畠山を討ってちょうだい!!」と告げます。

これは本当は、平賀朝雅が毒を盛って殺したのですが、りくはまんまと朝雅の嘘に騙されたのです。

さすがに愛する妻・りくの頼みとはいえ、娘婿である畠山重忠を討つことはためらわれる時政パパ。

当然ながら、息子の義時らからも反対され、りくに考え直すように言うのですが・・・

「まだわからないのですか!畠山は討たなければならないのです!」

「梶原や比企がどうなりました?より多くの御家人を従えなければすぐに滅ぼされます。力を持つとはそういうこと。」

「畠山、足立を退けて北条が武蔵国をすべて治めるのです!」

「このままでは政範だけではすみませんよ。次は私の番かもしれないのです

この言葉で時政パパは、愛する妻の命に危機が及ぶかもしれないと考え、畠山重忠に謀反の疑いありとして討つことになってしまうのです。

そこから、第36回「武士の鑑」で、畠山重忠の壮絶な最期が描かれる流れとなります。

畠山重忠を討った後、北条義時は時政パパに「畠山重忠の軍はわずか百数十騎、謀反は偽りだった」と痛烈に批判します。

この一件で時政パパは、御家人からの信頼を落とすことなり、追い詰めらえた時政とりくは、将軍を実朝から娘婿の平賀朝雅にすげ変えようと画策するまでになります。

しかしこの画策は、政子が実朝を義時の館に移して守ったことで、企みは失敗に終わります。

ついに時政とりくは伊豆へ追放されます。

そして、平賀朝雅も幕府の命を受けて命を失います。

死亡フラグが立ったりくでしたが、ドラマでは命を落とすことなく追放で終わりました。

 

 

りく(牧の方)史実はどうだった?死因や最後について

北条時政とりく(牧の方)による将軍すげ替えの陰謀は、史実では「牧氏の変」と呼ばれています。

ドラマでは、伊豆に追放された北条時政と「りく」は、そのまま表舞台に返り咲くことは無いと思われる展開でした。

ちなみに、時政パパは11月6日放送の第42話で再登場。

伊豆の北条館を孫の泰時が訪ねるシーンがあり、膝の痛い時政に変わって世話をするおなご(磯山さやかさん)もいました。

時政パパが「あいつ(りく)は京に帰っちまった」と言っていましたが、史実でもそうだったのでしょうか?

ちなみに時政は史実では、追放から10年後の1215年に78歳で亡くなり、その死因は病気で腫瘍によるものだったと言われています。

そして、りくこと牧の方は、ドラマと同じく史実通り時政の死後、娘を頼って京に戻ったとされています。

平賀朝雅と死に別れた娘は公家の藤原国通に嫁いでおり、牧の方は京都で贅沢にその後の余生を送ったとのこと。

さらに藤原定家の日記「名月記」には、牧の方について批判的なことを書いた記録が残っているとのこと。

1227年3月、国通の邸で夫・時政の十三回忌を行い、一族を引き連れ諸寺詣を行っていた。

「名月記」では、牧の方の孫にあたる人物が1229年6月に、49日法要を行ったとする記述があります。

この法要が孫でなく、牧の方のものであれば、亡くなったのは1229年ということになりそう。

しかし、牧の方の詳しい死因やその最後については明確に記載がないとのことでした。

やはり、鎌倉時代の話となるとなかなかそこまでの記述が残ってないので不明瞭な部分も多いですよね。

「鎌倉殿の13人」では、時政パパが再登場したこともありますし、りくの最期が不確かな点を逆手に取って、同じく再登場する可能性もあります。

12月18日放送の最終回ではNHK主催のパブリックビューイングに、宮沢りえさんがゲスト出演することが決まっていますので、宮沢りえさんファンの方はちょっと期待出来るかもしれません^^

 

 

【鎌倉殿の13人】りくの死因や最後まとめ

今回は「鎌倉殿の13人」で宮沢りえさん演じる「りく」の死因や最後についてお届けしました。

史実では牧の方と呼ばれたりくは、夫である時政とともに追放され、時政の死後は京に戻ったとされました。

最後や死因について確かな情報はありませんでしたが、少なくとも1227年ころまでは健在で、京都で贅沢にその後の余生を過ごしていたと思われます。

個人的には放送当時、日テレで「真犯人フラグ」の相良真帆を演じていた宮沢りえさんを見ていたので、役どころによってこんなにも雰囲気が変わるんだ~と感心していながら見ていました。

 

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