この記事は2025年前期に放送予定のNHK朝ドラ「あんぱん」に登場するヒロイン・朝田のぶのモデル・小松暢さんについて分かったことをまとめています。
朝ドラ「あんぱん」のヒロイン朝日のぶのモデルは、あのアンパンマンの作者やなせたかしさんの妻・小松暢さんであることが分かりました。
それではどうぞ。
【あんぱん・朝田のぶ】モデル小松暢はどんな人?
朝ドラ「あんぱん」のヒロインは、今田美桜さん演じる朝田のぶです。
朝田のぶのモデルは「小松暢(こまつ のぶ)」さんという女性で、アンパンマンの作者・やなせたかしさんの奥さんだった方です。
小松暢さんの生年月日・出身
小松暢さんは高知県高知市の生まれです。
1918年(大正7年)に誕生。
もしご存命なら2025年で107歳となります。
夫のやなせたかしさんは1919年(大正8年)生まれで、妻の暢さんとは1歳差でした。
小松暢さんの本名や名前の読み方
小松暢さんは本名で、読み方は「こまつのぶ」です。
暢という字は「ちょう」「のべる」「のびる」とも読み、長く伸びる、のびのびするなどの意味があります。
暢さんはその名の通りのびのびとのびやかに育ちました。
あだ名は「ハチキンおのぶ」「韋駄天おのぶ」。
やなせさんの作品「アンパンマン」に登場するドキンちゃんのモデルとなっています。
出身中学や高校などの学歴の情報は、2024年3月時点では不明ですが、実際のドラマが放送すればわかる可能性もあるので、判明次第情報を随時更新していきます。
小松暢さんの兄弟や家族について
小松暢さんの兄弟や家族についての情報は公表されていません。
現時点で分かっていることとしては、小松暢さんは高知新聞が採用した初の女性記者だったこと。
そして、「代議士の秘書になる」と言って新聞社を退社後に上京したりと、当時の女性としてはかなり行動的です。
となると、年上の男兄弟がいてもおかしくなさそうです。
ご両親は、小松暢さんの行動について、怒らずあたたかく見守ってくれるような人たちだったのかもしれませn。
朝ドラ「あんぱん」で、どのように描かれるのかも気になるところです。
【あんぱん・朝田のぶ】モデル小松暢さんはどんな性格の人?
『ハチキンおのぶ』と呼ばれていた小松暢(こまつのぶ)さん。
この『ハチキン』とは土佐弁で『男勝りな女性』を指す言葉であることが分かりました。
(地元の方には知られた言葉なのでしょう。)
また『韋駄天おのぶ』とも呼ばれ、高知県内で優勝するほど足が速かったんだとか。
結婚後に漫画家を目指していたやなせさんに対して小松暢(こまつのぶ)さんは、「なんとかなる。私が働いて食べさせる」と言って励ましていた、というエピソードが残っています。
仕事以外は全て奥さんである小松暢さんに頼っていたと、やなせさんが当時のインタビューで語っています。
小松暢さんは美人でやなせさんが一目惚れ
やなせさんが高知新聞社に入社した、戦後の1946年に、お2人は同僚として出会います。
美少女だった小松暢さんにやなせさんは一目惚れするほどでした。
その証拠にやなせさんは高知新聞時代に、同じ部署で前の席になった小松暢さんのことをすぐに好きになったのだとか。
又、2人で一緒に食べたキノコ鍋で食中毒になったやなせさんを、小松暢さんが看病したことで愛情が芽生えたんだそうです。
小松暢さんはドキンちゃんのモデル
小松暢さんはアンパンマンに出てくるあの人気キャラ『ドキンちゃん』のモデルになったと言われてます。
ドキンちゃんは自分のことを世界で一番かわいいと思ってるキャラクター。
わがままで自由奔放な性格でばいきんまんを振り回してるけど、たまに優しい一面を見せる小悪魔的な存在です。
そうなると、やなせさんと小松暢さんは、ばいきんまんとドキンちゃんのような関係だったのでしょうか?!
やなせさんは、小松暢さんのことを家では「のぶちゃん」と呼んでいました。
小松暢さんは、やなせさんを励ましていたエピソードがあります。
その時言っていた言葉が、「逆転しない正義とは、飢えて死にそうな人に一切れのパンをあげること。」です。
これって、よく聞いていると、アニメのアンパンマンが自らの顔をあげて皆を助ける時のエピソードにつながっているんですよね。
朝ドラ「あんぱん」のヒロイン朝日のぶのモデル・小松暢さんに子供はいた?
やなせたかしさんと小松暢さんには子供はいませんでした。
『アンパンマンが自分たちの子ども』とも公言されていました。
実はやなせたかしさんが生みだしたアンパンマンの、「お腹が空いている人にあんぱんをあげる」というくだりは、小松暢さんがずっとやなせさんに言い聞かせて励ましていた「逆転しない正義とは、飢えて死にそうな人がいるときに一切れのパンをあげること」というメッセージが元になっています。
小松暢さんの生涯と晩年について
小松暢さんは、男勝りな性格の女の子で、雷が鳴った時には「もっと鳴れ!」と言ったというエピソードが残っています。
学校を卒業後、高知新聞に入社した小松暢さんは、高知新聞初の女性記者として活躍。
その後「代議士の秘書になる」という理由で、やなせさんよりも先に上京。
1年後にやなせさんは、小松暢さんのことを追いかける形で上京しています。
小松暢さんの方がリードする関係で、漫画家を目指すやなせさんに対して「私が働いて食べさせる!」と言っていました。
漫画家として独立を目指していた やなせさんをずっと支えてきた小松暢さんでしたが、1988年に乳がんが発覚。
この年というのは、奇しくもアンパンマンのアニメ放送が開始された年でした。
その後、アンパンマンが人気になっていくのを見届ける形で、小松暢さんは、1993年11月22日に75歳でガンで亡くなられています。