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らんまん朝ドラ万太郎とジョン万次郎(宇崎竜童)の出会いは史実通り?

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この記事は2023年4月より放送されたNHK朝ドラ「らんまん」で、

神木隆之介さん演じる万太郎は、自由を求める早川逸馬(宮野真守さん)と出会うシーンがあります。

万太郎に興味を持った早川逸馬が、ジョン・万次郎に会わせることに。

ジョン万次郎は、万太郎が子供の頃、その著書を読んで憧れてた人物。

この出会いは、史実では本当にあったのか?

今回は、万太郎と中濱万次郎(宇崎竜童さん:演)の出会いが、本当にあった実話なのか?お伝えします。

 

 

らんまん槙野万太郎とジョン万次郎(中濱万次郎)の出会いとは?

朝ドラで万太郎とジョン万次郎(中濱万次郎)が出会うのは、第4週目の回。

銘酒を東京の品評会に出品したと同時に、憧れの植物学者・野田基善や里中芳生に出会って

大満足で峰屋に戻ってきます。

ですが、植物学者に実際に出会ったことで本当の自分の気持ちが抑えられなくなり、葛藤していました。

祖母のタキは竹雄から、万太郎の本当の気持ちを知り、ある決意をします。

それは何と、姉の綾との結婚。

綾は驚いて、家を飛び出してしまい、万太郎と竹雄が後を追いかけます。

綾を見つけた万太郎は、自由民権運動の活動団体のリーダー。早川逸馬の演説を聴くことになります。

早川逸馬は万太郎という人物に大層興味を持ち、ある人物と引き合わせてくれます。

その人物は、中濱万次郎(なかはま まんじろう)。

万太郎が子供のころ、ジョン万次郎の書物を読んで憧れてた人物、その人でした。

万次郎は、万太郎にシーボルトが編集した「日本植物誌」を見せてくれます。

このことがキッカケとなり、万太郎は「自分の一生をかけて何をやりたいか。」を明確にするのでした。

 

 

らんまん槙野万太郎と中濱万次郎の出会いは本当?

「らんまん」第4週で描かれている、ジョン万次郎こと、中濱万次郎との出会いは本当にあった史実なんでしょうか?

実在でモデルとなる、牧野富太郎さんは1862年に幕末の土佐藩(現在の高知県)で誕生しています。

一方、ジョン万次郎さんは、牧野富太郎さんよりも早く、1827年の生まれで、富太郎さんと同じく土佐藩(現在の高知県)で誕生。

お2人の年齢差は、35歳です。

いくら同じ高知出身とはいえ、ジョン万次郎さんと出会っている可能性はありません。

もし本当に出会っていたとしたら、日本史の教科書に載るほどの偉人と、植物学者の権威者である人物の重要なエピソードとして後世に語り継がれているはずだからです。

朝ドラ「らんまん」では、万太郎が中濱万次郎と出会ったことで、「生涯を日本の植物を世界に知らせることに捧げたい。」きかっけとなっているという展開

この時代背景をドラマの内容に沿って照らし合わせると、牧野富太郎さんが上京したのは19歳(1862年生まれなので、1881年)。

1881年には、ジョン万次郎さんは54歳です。

ジョン万次郎さんは、明治3年(1870年)に、普仏戦争視察団として大山巌らと共に欧州へ派遣されますが、その年の11月に英国・ロンドンに向かう際に発病し、帰国の途に。

帰国後に脳溢血を発症してからは、教育者としての道を選んで余生を静かに送ります。

明治31年(1898年)、71歳で死去。

そう考えると、激動の世を生きていたジョン万次郎が、いくら同じ故郷の高知にいたとはいえ、出会うというのは難しかったようです。

ということで、牧野富太郎さんとジョン万次郎さんは史実では出会っておらず、ドラマで出会ったことになるのはあくまでも制作上のフィクションなのでしょう。

 

 

らんまん万太郎とジョン万次郎の出会いは史実?まとめ

今回は「らんまん朝ドラ万太郎とジョン万次郎(宇崎竜童)の出会いは史実通り?」と題してお伝えしました。

モデルとなる、植物学者・牧野富太郎さんとジョン万次郎と直接の関係が有ったという史実はありませんでした。

ジョン万次郎は最後となる欧州へ向かった後、発病し、明治31年(1898年)、71歳で死去するまで、余生を静かに過ごしていました。

ただもしかしたら、ジョン万次郎が残りの人生を日本で過ごしていた時に、牧野富太郎さんと出会うことはなかったとしても、手紙などのやり取りをしていた可能性はゼロじゃないかも??ですね。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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