ボヘミアンラプソディ

ポールプレンター(クイーンマネージャー)の死因や現在!ボヘミアンラプソディで語られなかった暴露話

ポール・プレンターは映画「ボヘミアンラプソディー」でも登場していた実在の人物で、フレディマーキュリーのマネージャーをつとめていました。

ポール・ブレンターは、映画「ボヘミアンラプソディー」のストーリーの中で、QUEENの関係者などを陥れた悪者として描かれていましたが、映画が公開されたことでポールプレンターについて知りたいと思う人もいるでしょう。

この記事ではクイーンのマネージャー・ポールプレンターの経歴プロフィールや、死因についてご紹介します。

 


ポールブレンター(Paul Prenter)wiki経歴プロフィール

・名前:ポールプレンター

・愛称:ポール

・出身地:イギリス

・没年月日:1991年8月

・活動内容:フレディマーキュリー個人マネージャー (1997年~1986年)

ポールプレンターは、映画「ボヘミアン・ラプソディ」ではとんでもない“クズキャラ”として描かれている人物賭して登場しています。

このことからボラプ映画が2018年に公開された当初は、「あくまで映画をドラマティックにするための脚色されたキャラクターで、ポールプレンターという人物は本当は実在しないのでは?」なんて思った人も少なくなかったんだとか。

ですが、ポールプレンターはちゃんと実在する人物。

しかも、ボヘミアンラプソディの映画の中で描かれているクズっぷりも事実で、実際はもっとヒドイ最低なクズ男キャラの男性でした。

そんなポールプレンターは、フレディマーキュリーの個人マネージャーとして、1977年から、解雇されるまでの1986年まで働いていました。

映画ではライブエイドの前に解雇されていますが、実際は、ライブエイドの後で解雇されています。

およそ9年間のあいだ、フレディマーキュリーの側で働いていたんですね。

フレディ以外のクイーンのバンドのメンバーは、ポールプレンターのことが最初から好きではありませんでした。

実際のところ、ポールプレンターはフレディマーキュリーに公私共にべったりの関係。

そして映画同様、「君は他のメンバーより才能がある。ソロでやっていくべきだ。」などと独立をそそのかして実際にソロ活動をさせてしまい、これが原因で一時はフレディマーキュリーと他のメンバーが対立状態になった時期もあります。

ポールプレンターは常に、他のメンバーからフレディを遠ざけようとしていたのです。

また、重要なアポイントをフレディに取り次がず、ポールプレンターが勝手に取材やインタビューのオファーを独断で断ったりもしていたのだとか。

さらに、フレディーマーキュリーがエイズに感染するきっかけとなった、〇イ・パーティーの楽しさや違法薬物などの遊びを教えたのも、ポールプレンターだったとも言われています。

しかし、そんなフレディによくない影響をを与え続けてきたとされる人が、どうして9年間もの間解雇されることがなかったのかというと、やはりフレディマーキュリーという才能あるボーカリストであることと、クイーンのメンバーにとってフレディマーキュリーは、大切な仲間。

大事な仲間が大切にしているものは、たとえ客観的に見ても忌み嫌う対象の人物であっても、それがフレディにとって好きな人であれば受け入れざるを得ない存在であったということです。

 

ポールプレンターとフレディマーキュリーは愛人関係にあった

ポールプレンターとフレディマーキュリーは当初は単にアーティストとそのマネージャーという関係だったのですが、次第に大人の関係へと発展していました。

実際、フレディーマーキュリーとポールプレンターが親し気にピッタリと寄り添っている写真が、現在も多く残されていたりします。

フレディマーキュリーと関係を結んだ同性といえば、「フレディの最後の恋人」として知られているジムハットンの印象が強いですが、実際にはポールプレンターをはじめとして、複数の男性と関係を結んでいたことが分かっています。

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なので、クイーンのメンバーやメアリーオースティンにとってみれば、ポールプレンターとの出会いによってフレディマーキュリーが悪い遊びを覚えてしまい、次第に何もかもが良くない影響を受けていった、、、という印象となっていったということになります。

 

ポールプレンターの映画「ボヘミアン・ラプソディ」での“クズ”っぷりが話題

映画「ボヘミアン・ラプソディ」でポールプレンターを演じたのはアイルランドの俳優アレン・リーチです。

本作の中では、“ポールプレンター”も物語を構成する重要な人物として登場しています。

こちらの画像はポールプレンター役を演じたアイルランドの俳優アレン・リーチさんです。

(アレンリーチさん)

そして、ポールプレンター本人の画像がこちら。

ボヘミアンラプソディの映画はとにかく登場人物が本人によく似た俳優・女優さんら演じていますが、ポールプレンターをここまで寄せてきたのは、スタッフの執念を感じずにはいられません。

「ポールプレンター」役はアレン・リーチさん以外には考えられないって感じすらしますが、実はアレン・リーチさんは当初「ジムハットン」役のオーディションを受けたのだとか。

残念ながら「ジムハットン」役には落選してしまったのですが、数日後に「ポールプレンター」役に抜擢となっています。

映画「ボヘミアンラプソディー」では、ポールプレンターはフレディと恋人関係になるや、他のメンバーをないがしろにして、フレディにバンドからの独立をそそのかします。

さらに、ジョン・リードを罠にハメて解雇に追い込み、仕事上の大切な連絡やメアリーオースティンからの電話すらフレディに取り次がない…などとやりたい放題。

やがて、そんな数々の悪行がフレディの知るところとなり、冷たい雨がそぼ降る中、解雇を言い渡される印象的なシーンがこちらになります。

ポールプレンターに対してフレディマーキュリーが「俺の人生から 消えろ!!」と言い放ちます。

そう簡単には引き下がれないポールプレンターは、必死に食い下がります。

それでもフレディの気持ちが変わることはなく、そんなフレディに対してポールは遂に、とんでもなクズ発言をしてしまうことに…。

ポールは恐らくこんな時のためにフレディマーキュリーのその後のアーティスト活動を揺るがすような写真を用意していたのでしょう。

「俺を解雇するならその写真をバラしちゃうよ?それでもいいの?」

ボスであり愛人でもあったフレディに対して、遂にそんな脅迫とも言える言葉を投げつけます。

これに対してフレディマーキュリーは、「おまえはミバエだ、汚いミバエだ!写真も暴露話も好きにしろ!」と吐き捨てるのでした。

ミバエってどんなハエなのかと思い、探してみました。こんな姿をしています。

その後、ポールプレンターはテレビに出演して、フレディに複数の男性の愛人がいることを告発しています。

当然「QUEEN」のメンバーやバンドの関係者はもちろん、全世界の「QUEEN」ファンから疎まれる存在となりました。

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ポールプレンター(Paul Prenter)のフレディマーキュリー暴露話の真相について

ポールプレンターは1987年に、英国タブロイド誌「The Sun」 に、フレディの派手な男遊びのことや私生活の情報や写真を売って、£32,000(472万円、当時のレートに直すと925万)くらいの収入を得ていたことが分かっています。

ボヘミアンラプソディの映画では、暴露話はテレビのインタビュー形式でしたが、実際は紙媒体で暴露されました。

その暴露話には以下のような情報がありました。

  • フレディマーキュリーは、常日頃から何百人もの男性と寝た。
  • フレディマーキュリーには彼氏がいたものの、他にも2人の愛人の男性が存在していて、そのどちらともがエイズが死因で亡くなっている

2人の愛人とは、ブライトン出身の(Brighton)トニーバスティン(Tony Bastin)と、フライトアテンダントのジョーンマーフィー(John Murphy)という名前の男性で、1986年に同時に2にんとも亡くなっていたのでした。

またポールプレンターはフレディマーキュリーの初体験にも触れ、フレディは、イギリスに来る前で、インドに住んでいた時に諸体験をすませていたことを暴露しました。

  • クイーンのツアーで回っているときは、毎日違う男と寝ていた。
  • 彼はおそらく朝の6時か7時くらいに寝るけど、1人で寝ていることはほとんどなかった
  • フレディは1人で寝ることを恐れており、長時間1人でいることさえ恐れている。
  • フレディは、愛人の男性たちに豪華なプレゼントを渡していた。(ダイヤモンド、車、現金など)

当時のイギリスの新聞「ザ・サン」での暴露記事の画像がありましたので↓の記事を見てください。

左下の画像で、フレディマーキュリーと一緒に写っている男性がトニーバスティン。

右下の画像で、フレディマーキュリーの左側に並んでいる男性がジョーンマーフィーです。

下の画像は、亡くなった愛人のひとり、トニーバスティン(Tony Bastin)です。

さすがフレディの愛人になるだけあって、イケメンな男性ですよね。

トニーバスティン(Tony Bastin)は、口髭が似合っていると周囲の人からも言われていて、フレディもそんなトニーが気に入っていることが分かります。

そして先程の新聞の右下の画像でフレディと並んで掲載されていた男性・ジョーンマーフィーは、この下の画像の真ん中の人です。

よ~く見てみると全員が、ちょび髭(口髭)スタイルです。

間違いなくこの髭スタイルが、当時のゲイの男性の間で流行っていたのでしょう。

この写真を見る限り、フレディマーキュリーは口髭の男性がタイプだったのでしょう。

フレディマーキュリーは初期のクイーンの頃は髭を生やしていませんでした。

ですが、ソロ活動を始めたあたりから彼自身も口ひげをはやしています。


「I Was Born To Love You 」の歌詞の一部を見てみました。

I was born to love you
With every single beat of my heart
Yes, I was born to take care of you
Every single day of my life

君を愛するために生まれてきたんだ
胸の鼓動が物語ってるのさ
そう、君を守るために生まれてきた
人生の1日1日をね

この歌を歌う時のフレディマーキュリーは髭を生やしています。

フレディの愛する男性たちに向けて歌でアピールしたのでしょう。

 

ポールプレンター(Paul Prenter)死因について!亡くなった日がヤバい

ポールプレンターは一体いつ亡くなったのでしょうか。

ポールプレンターが亡くなった日が気になっている人もいるのではないでしょうか。

調べたところポールプレンターは、1991年の8月に亡くなっています。

ポールプレンターの死因はエイズ(による合併症)でした。

実は映画ではポールプレンターは、ライブエイドのコンサート前に解雇されていますが、実際では、ライブエイド後の1986年に解雇されています。

実はこの時すでに、ポールプレンター自身がエイズだと分っていたのだとか。

解雇されたことで、自身の治療費を賄えなくなってしまいお金を必要としていたポールプレンターの噂を聞きつけたマスコミ関係者たちが、暴露話の公開を持ちかけたという話もあります。

フレディマーキュリーが亡くなったのは、1991年11月23日です。

フレディマーキュリーの亡くなるわずか3ヶ月前に亡くなっていたんですね。

偶然といえば偶然なのかもしれませんが、フレディマーキュリーとポールプレンターとの何がしが因縁めいたものが感じ取れます。

フレディマーキュリーの晩年や足の切断は本当なのか??

 

ポールプレンター(Paul Prenter)のインタビュー動画

ここからはポールプレンター(Paul Prenter)のインタビュー動画をまとめています。

↓の動画は、トークなしで、文章と画像が出てきます。ポールプレンターとフレディマーキュリーの関係について書いてあり、日本の国内メディアではあまり登場していない、掘り出し物の画像がたくさん見ることが出来ます。

 

続いての動画は、語り手の人が、ポールプレンターにどんなことが起きていたのかを説明してくれています。

この動画もポールぷれんたーの画像ダイジェスト形式となっている動画です。

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