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ボヘミアンラプソディ映画

フレディマーキュリー 晩年の写真がヤバい?歌唱力や足の秘密が明らかに?

フレディーマーキュリーの映画「ボヘミアン・ラプソディ」が11月9日より日本でも公開されています。

映画の公開以来、「第3次クイーンブーム」と言われるほど、日本だけでなく、世界規模で大ヒット人気の映画となり、1度のみならず、何度も映画館に足を運ぶ「リピーター」も話題になっています。

伝説のボーカリスト・フレディマーキュリーの晩年や、歌唱力について気になったことを調べてみました。

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フレディ・マーキュリーのプロフィール

名前:フレディ・マーキュリー(Freddie Mercury)

本名:ファルーク・バルサラ(Farrokh Bulsara)

生年月日:1946年9月5日

出身地:インド マハーラーシュトラ州

身長:177cm

死没:1991年11月24日(45歳没)、英国・イングランド ケンジントン

活動期間:1969年~1991年

フレディマーキュリーの本名が、ファルーク・バルサラ(Farrokh Bulsara)という、英国人っぽい名前でないことや、あの独特な濃い?!風貌ですが、ご両親がペルシャ系インド人だったんです。

フレディの家族は、インド生まれの、お父さんのボミ・バルサラ(Bomi Bulsara)(1908年 – 2003年)と、お母さんのジャー・バルサラ(Jer Bulsara)(1922年 – 2016年)、そして妹のカシュミラ(Kashmira)さんです。

こちらの画像は、フレディのご両親の若い頃の姿です。

2人とも上品な感じで、美男美女ですね^^

フレディが8歳の時に撮った、妹さんと一緒の姿と、生前のお母さんとの画像です。

また、出身地はインドとなっていますが、フレディマーキュリーは、タンザニアにあるザンジマル島の、ストーン・タウンの街で生まれました。

この街は、1890年から1963年までイギリスの保護国だったんです。

インドで幼少期の大半を過ごしたフレディは、7歳でピアノを習い始めます。

8歳の時に、ボンベイ(今のムンバイ)郊外のパンチガニにある全寮制の英国式寄宿学校、”セント・ペーターズ・ボーイズ・スクール”に通うことになりました。

この頃すでに、ロックバンドを結成して、ピアノとボーカルを担当していたとか。

12歳(!)の時には、スクールロックバンドの「ザ・ヘクティクス」で、クリフ・リチャードやリトル・リチャードのカバーを演奏したそうです。

当時の友人たちは、フレディについて「ラジオを聴いたら、その後で聴いた曲をピアノで再現する、特異な能力を持っていた。」と語っているので、この頃から才能が開かれてたんですね。

17歳の時に、家族と共にザンジバルに戻って暮らし始めましたが、その翌年に起こった「ザンジバル革命」により身の危険を感じた家族は、ザンジバルを離れて、イングランドのミドルセックス州・フェルサムに移住することになります。

移住後、フレディは、ウェスト・ロンドンにあるアイルワース(現在のウェスト・テムズ・カレッジ)に入り、芸術を学んだ後、イーリング・アートカレッジへ進み、芸術とグラフィック・デザインを勉強しました。

これらの技術を用いてフレディは、当時としてはかなり斬新な、クイーンの衣装をデザインしていたんですね。

フレディマーキュリーは、本当に多才な人だったんですね(^^)

ですが、「ロックのイメージに合わない。」という理由で、インドで育った過去だけは何としても隠したかったようです。

今でこそ、出身国についてそれほど言われることはなくなっていますが、当時のイギリスにおいてはインド出身であることは公にするものではなかったんです。

日本で言うと、どこか地方の田舎の出身であることが嫌だったみたいなかんじだったんでしょう。(田舎の方、すみません。)

友人が「お前、インド出身だよな。」とからかうと、かなり嫌そうにするようで、メンバー内でもこの話題は触れてはいけなかったそうです。

「ボヘミアンラプソディー」の映画の中でも、ヒースロー空港のバイト先で「パキスタン野郎」と言われて、嫌な顔をするシーンがありました。

フレディマーキュリーの猫好きエピソード

フレディマーキュリーは、大の猫好きだったんです!

最後の恋人だった、ジム・ハットンが、フレディの邸宅である「ガーデン・ロッジ」へ引っ越してきた時には、オスカー、ティファニー、ゴライアス、ミコ、ロミオ、デライラと、6匹飼っていたそうです。

海外へツアーに出ている間は、可愛がっていた猫と話すために毎日のように、自宅へ電話をかけて、必ず1匹ずつ電話に出て鳴き声を聞かせてほしいと頼んでいました。

まるで、家族同然のようですね~。

映画の中でも、ツアーに出ている時メアリーに電話して、猫が元気かどうか確認してました。

メアリーが、「わたしのことは?」って聞いてましたね。

フレディ、どんなけニャンコたちが好きなんだよ~って感じです(^^)

でも猫好きのフレディにとっては、少しでも一緒にいたかったんでしょうね。

一度、飼い猫のゴライアスが行方不明になってしまったことがあったそうです。

「フレディは半狂乱になって深く絶望し、美しい日本製の火鉢をゲスト用ベッドルームの窓から放り投げた」と、フレディのパートナーで居続けたジム・ハットン氏が、自身の著書の中で語っています。

迷ってしまった猫のために懸賞金を用意するほど、憔悴しきってしまったそうですが、ラッキーなことに、ゴライアスは無事に保護されたんです。

無事にご対面できたフレディは、母親のように抱きしめて大喜びしたあと、ゴライアスを叱っていたとか。

まるで、自分の子供のようですね~。

又、フレディは、猫の中でも、1987年から飼っていたメス猫、「デライラ」が一番のお気に入りで、『愛しきデライラ』という曲を書いています。

クイーンの他のメンバーは、この曲に特に思い入れはなかったので収録する気はなかったのですが、しぶしぶ受け入れざるをえなかったそうです。

「Delilah」

歌詞

Delilah Delilah
Oh my oh my oh my you’re irresistible
You make me smile when I’m just about to cry
You bring me hope you make me laugh – and I like it
You get away with murder so innocent
But when you throw a moody you’re all claws and you bite
That’s all rightDelilah Delilah
Oh my oh my oh my you’re unpredictable
You make me so very happy
When you cuddle up and go to sleep beside me
And then you make me slightly mad
When you pee all over my Chippendale suite

Delilah Delilah
Oh oh oh oh oh oh oh

You take over my house and home
You even try to answer my telephone
Delilah you’re the apple of my eye

Meeow meeow meeow
Delilah I love you Delilah
Oh you make me so very happy
You give me kisses and I go out of my mind ooh
Meeow meeow meeow
You’re irresistible – I love you Delilah
Delilah I love you

Hah hah
You make me very happy
Oh yeah – I love your kisses
I love your kisses
I love your kisses
I love your kisses
I love your your your kisses
I love your kisses

和訳

デライラ、デライラ!
ああっ、ニャンて魅力的な子なんだ。
デライラは僕が泣き出しそうなとき、微笑ませてくれる。
希望をもたらしてくれるし、笑わせてくれる。そんなところが好き。

無邪気に殺生をしたって許しちゃう。
だけど、機嫌が悪いと何でも引っかくわ、噛みつくわなんだよねぇ。
まあ、そんなの気にしてないけどね。

デライラ、デライラ♪
も~デライラってば、ほんとに予測不能。
僕の横にくっついて寝入ったりするとほんっっとに幸せハッピーなんだけど、
何気にチッペンデールのベッドのそこかしこにオシッコされてたりすると、
さすがにちょっと腹が立つ。

こらっ!デライラ!デライラっ!!
ああ、ああ~・・・もう~~っ!

デライラは家の外でも中でも我が物顔。
僕の電話に出ようとさえするし。
デライラ、もう目の中に入れても痛くないくらい可愛い。

ミャウ!ミャウ~、ミャウ!
デライラ、大好き! デ~ラ~イ~ラ~!
ああ、本当に僕をとっっても幸せにしてくれるね。
キスしてくれたりすると、もう天にも昇りそう。
デライラ、大好きだよ~~♡
本当に可愛いね、大好きだよ、デライラ♡
デライラ、もう、好き好き好き!

ほんとにお前は僕をハッピーにしてくれるね。
デライラのキスが好き♪
デライラのキスが好き♪
デライラのキスが好き♪
デライラのキスが好き♪
デライラのキスが好き♪

デライラは、三毛猫だったので、日本大好きのフレディにとってはよけいに可愛がりたくなる猫ちゃんだったのかもしれないですね~^^

「デライラ」の歌詞に出てくるチッペンデールのベッドは、18世紀のイギリスの家具デザイナーが、英国におけるロココ様式とも言われる猫足の家具を生み出した方のベッドだとか。

お値段は、1000万はするそうです!

さすが世界的ロックスターのフレディマーキュリーですね~!

1000万のベッドって、どんなけ寝心地いいんでしょうか(笑)

さぞかし、よく眠れるでしょうね!

スーパースターのフレディマーキュリーのことだから、当然枕も、最高級の品質のものを頭に敷いて寝ていたんでしょう。

フレディは、病に倒れる最後の日まで、とにかく猫のことを気にかけていたそうです。

猫好きの人には「うん、うん、分かる~」ってなるエピソードでしたね(^^)

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晩年は日本で過ごしたかった?

フレディはかなりの日本通としても知られています。

クイーンのメンバーとして1975年の初来日の時に、観光で訪れたお寺や歴史建造物をみて、日本の歴史や文化が大好きになり、帰国前には骨とう品を買い漁っていったそうです。

初来日以降も、伊万里焼のコレクターとして、コンサート以外にも時々お忍びで来日しては美術品を購入するほどの親日家になりました。

ある時は招き猫の置物が欲しかったフレディに、ボディーガードが、東京都内のある店に案内

したところ「違う、私の欲しいのは、芸術性の高いアンティークなんだ!」と言ったそうです。

青山にある骨董通りや、成城にいい品があると聞いたスタッフが一緒に同行したんですが、気

に入らなくて、他を探してくれと言われ続けました。

最後に京都のある店で、「これだ!」と満面の笑みで購入したんです。

とにかく日本の美術に精通していて、九谷焼や浮世絵に興味を持っていたそうです。

200万円の値のついた浮世絵を前にしてスタッフに「これは本物か?」と聞いて購入したんだとか。

自宅では、着物を着てすごすほど、気に入ってしまったそうです。

来日コンサートでも着物着て、パフォーマンスしていますね。

しかし、斬新な衣装だなあ~。

ロンドンの自宅には日本庭園を設けていたくらいなので、もしかしたら日本で最期を迎えたかったかもしれないですね。

これまで行われていた来日コンサートでは、MCの大半を日本語で話しています。

日本語にも精通していて、彼のソロアルバム「バルセロナ」に収録されている「La Japonaise」の歌詞の大部分は日本語です。

歌の動画がありました。

クイーンの人気が出たのは、日本が最初なんですよね~。

本国のイギリスでは、当時流行していたプログレッシブロックの「残りカス」などと散々な言われ方をしていました。

日本では、まず女性ファンが火付け役となっていったそうです。

1970年代の日本では、女性にとってクイーンは斬新なカッコいいバンドだったんですね。

1975年の初来日の時には、空港に1,200人ものファンが押しかけています。

これには、そこまでの人気になっていると知らないメンバーには驚きつつも、かなり嬉しかったでしょうね。

日本に初来日した時の動画があるので見てみてくださいね~。↓

日本語も一生懸命に勉強したのでしょうね~。

日本文学にも相当詳しかったそうで、コンサートなどで来日した際、担当の日本人通訳の方も知らいないような作家の名前を言って質問するほどだったそうです。

当時は今ほどインターネットも発達してなかったのに、どうやって情報を仕入れて日本語や日本のことを勉強したんでしょうか。

東京の神田の古書街に、良く通っていたというエピソードもありました。

これだけのエピソードを聞いていると、個人的にはフレディマーキュリーは前世は日本人だったのでは~?と思わざるをえませんね(^^)

フレディとダイアナ元王妃の交流エピソード

フレディは様々な人との交流があったんですが、ダイアナ元王妃とはフレディととても仲の良い、親友だったそうです。

映画では語られてない話ですね~。

実は、王室に嫁ぐ前からダイアナさんは、フレディと友人関係にあったそうです。

元々ロック音楽が大好きだったことと、王室に嫁ぐ前は「民間から嫁いだプリンセス」と言われながらも、名門貴族スペンサー伯爵家のお嬢様なので、有名人アーティストと知り合う機会が多かったことで知り合ったとされています。

フレディとダイアナでお忍びの夜があった!

英国のコメディー女優クレオ・ロコスさんの、2013年出版の回顧録によると、お忍びで一緒にゲイバーに行ったことが語られています。

当時のダイアナ元王妃は、公では、仲の良い夫婦と良き妻として振る舞っていましたが、その裏では、夫のチャールズ皇太子の不倫に悩まされ10年以上仮面夫婦を演じていました。

ダイアナ元王妃は連日のように、メディアに追い回されてかなりのストレスになっていたんですね。

その日は、1980年代後半、英国のコメディアン、ケニー・エヴェレットの家で、フレディと、ダイアナ、クレオと4人でシャンパンを開けて楽しんでいました。

3人は、ゲイバーに行こうとしたのですが、「一緒にクラブに行きたい。」とダイアナが言ったんです。

ですが、さすがにそんな場所にダイアナを連れてけない、もしバレたら翌日の事件になるからということで断ったんです。

でも、どうしても行きたいと何度もフレディにお願いするダイアナを、フレディは連れて行ったのですが、バレないように男装させたんです。

ケニー・エヴェレットが持っていたアーミージャケットを着させて、レザーキャップとアビエイターサングラスをつけて、忍び込んだダイアナ元王妃。

その元王妃の姿は、クレオの回顧録によると「美青年のゲイの男性モデルのよう」だったとか。

ダイアナ元王妃は、モデル体型で身長177cmあったからカッコよく見えたでしょうね~^^

バレたらどうしようとヒヤヒヤしながら、お店に入った4人でしたが、人気者のフレディとケニー(お2人ともゲイです。)に気を取られて誰も気づくことはなかったんです。

そのおかげで、ダイアナ元王妃は自らドリンク(ビールと白ワイン)をオーダー出来て、楽しい夜を過ごせたんですね。

護衛もつけずに行ったので、20分ほどで帰ったんですが、その日は無事ケンジントン宮殿に戻ったそうです。

ドラマや映画にもなりそうな、「プリンセスのお忍び」実現できて良かったですね~♬

こんな元王妃のお願いも、何とかして実現させようと思ったフレディマーキュリーは、とにかく優しい人だったんですね。

フレディマーキュリーの歌唱法

彼の唯一無二の素晴らしい歌唱力と、独自の様式美を追求した「マイクパフォーマンス」は今でも人気が高いですね。

フレディは12歳で、すでにロックバンドを結成していました。

当時の友人談によると、フレディはラジオを聴き、後で聴いたその曲をピアノで再現する、異様な能力を持っていた。そうです。

やはり、世界的に大成功をおさめることの出来る人というのは、何かすごい能力があるんでしょう。

フレディが、亡くなった後に彼の歌唱法に関心が集まり、論文を発表する研究機関もありました。

2016年にはフレディの驚異の歌唱力が科学的に明らかにされました。

オーストリア・チェコ・スイスの研究者らによる共同研究によると、ヴィブラート時の周波数が、通常は5.4から6.9ヘルツなのに対して、フレディマーキュリーは、7.04ヘルツと際立った数値を示していたそうです。

別な計測による振動の速さも、世紀のテノール歌手と言われる、ルチアーノ・パヴァロッティを上回るものが計測されたそうです。

もしかしたら、フレディは、彼なりに独自に歌唱法を研究して、自分の歌い方に取り入れてたのではないでしょうか?

亡くなった後もこれだけ注目を集める、フレディマーキュリーのパフォーマンスの凄さがまたひとつ証明されましたね~。

クイーンの創り出す楽曲も素晴らしいけど、フレディの圧倒的なボーカル歌唱力も人気のひとつだったと言えますね~!

足の切断は本当だった。

残念ながら、1987年に不治の病が見つかってしまい、4年後の1991年にこの世を去ってしまったフレディマーキュリー。

フレディの死因が明らかになった後も、詳細はこれまで明かされることはなく、封印されてきたんですよね。

ですが、2017年にメンバーである、ギタリストのブライアン・メイが「サンデー・タイムズ誌」のインタビューで、闘病の様子を明かしています。

フレディは病気を診断されてからは、公にはキッパリ否定し続けていていました。

でも、バンドのメンバーには早くから打ち明けていたんです。

ボヘミアンラプソディーの映画の中では、1986年に出演した「ライブ・エイド」の公演前に、メンバーに病気のことを打ち明けるシーンがありました。

親しい人以外に、自分の苦しみを知られてしまうのを恐れていたのでしょう。

闘病期間中のある夕食時、フレディはブライアンに自分の片足を見せています。

それは、壊疽のためにそのほとんどが失われてしまった、「かつて足だったもの」でした。

「フレディ、こんなに激しい痛みを、君は我慢してきたということがわかったよ。」とブライアンは答えたそうです。

病気の進行は早くて、発病後、数カ月で片足を失ってしまったんです。

フレディは亡くなる2週間前にスイスから帰国してからは、延命処置用の薬を取らないことを決めています。

もうこの頃には自分の最後を悟っていたのでしょうか。

外出することもなくなり、ウェスト・ロンドンのケンジントンの自宅でほとんどの時間をベッドの上で過ごすようになります。

両親や妹、バンドのメンバーや、友人のエルトン・ジョンらがお見舞いに来た時は、出来るだけ起き上がって楽しく会話していたそうです。

当時はまだ治療方法が確立してなかったので、もう少し発病が遅かったら、もしかしたらこの世に生きていたかもしれませんね。

フレディマーキュリーやクイーンに関する放送(2月2日・随時更新中)

映画「ボヘミアンラプソディー」が大ヒット中のQueenの伝説のライブ「ライブ ブダペスト1986」が、2月2日(土)にAbemaTVにて22時から特別放送されます!!

クイーン ブダペスト1986 放送情報

  • AbemaSPECIAL 2チャンネル
  • 放送日時:2月2日(土) 22:00 〜 23:45
  • 無料で放送終了後、6日間視聴できます。

 

2019年1月末に、映画が、興収100億円を突破した記念で、国内最大のインターネットテレビ局 AbemaTVにてQUEENが1986年に行ったブダペストでのライブ映像が放送されることとなりました!

ブダペストでのライブは、フレディが参加した最後のツアーなんです。

観衆の数はなんと8万人!!

「Radio GaGa 」で観客がハンズアップするパフォーマンスは圧巻と言われています(^^)

ぜひぜひ、お時間ある方はお見逃しなく~!!

クイーン ブダペスト1986 セットリスト

  • ONE VISION -ひとつだけの世界-
  • タイ・ユア・マザー・ダウン
  • 神々の業(リヴィジテッド)
  • 輝ける7つの海
  • テア・イット・アップ
  • カインド・オブ・マジック
  • アンダー・プレッシャー
  • リヴ・フォーエヴァー
  • ブレイク・フリー(自由への旅立ち)
  • ブライアン・ギター・ソロ
  • ナウ・アイム・ヒア
  • ラヴ・オブ・マイ・ライフ
  • 春の風(ハンガリー民謡)
  • 悲しい世界
  • トゥッティ・フルッティ(リトル・リチャードのカバー)
  • ボヘミアン・ラプソディ
  • ハマー・トゥ・フォール
  • 愛という名の欲望
  • RADIO GA GA
  • ウィ・ウィル・ロック・ユー
  • 心の絆
  • 伝説のチャンピオン
  • ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン

 

過去にクイーン関連の放送された番組

1月9日(水)BS朝日「ベストヒットUSA」23時30分~23時54分にて、「クイーン特集」

放送されました。

「総力あげてのクイーン特集!初来日の貴重ライブ映像や圧巻の82年日本公演!フレディ・マーキュリー本人が語った、超有名パンクバンドと対面した時にかけた言葉は?」となっていました。

NHKソングスで映画上映後直後にクイーンの特集を放送し、反響があったようで

12月17日(月)午前0時40分~午前1時10分(日曜日の深夜)に再放送がありましたね~。

杏さんや、岡崎体育さん、古田新太さんらがクイーンの思い出の1曲を語っていたりしていました。

⇒NHK「SONGS」公式サイト

12/24(月) 午後1時05分~から(75分放送)には、2003年に放送された「ボヘミアン・ラプソディ殺人事件」が、地上波で初めて放送されました。

映画にはなかった、エピソードが出ていて、面白かったです!

もし見れそうだったら、動画あげますね~^^

個人的には、録画出来なかったので出来れば再々放送してほしいです。

もっとNHKドキュメンタリー

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最後に・・・

今ではもう彼の生の歌声が聴けないのは残念ですね。

今回の映画のヒットで、クイーンを知ってる昔からのファンだけでなく、クイーンを知らなかった若い年代にも彼らの良さが伝わって嬉しいです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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