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【光る君へ】永山絢斗が演じる予定だった藤原隆家の代役は竜星涼!瑛多さんではない理由とは?

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俳優の永山絢斗(ながやまけんと)さんが、2023年6月15日未明に逮捕。

突然のことでビックリするニュースですが、永山絢斗さんといえば気になるのが、今後の出演予定だったNHK大河ドラマ「光る君へ」です。

永山絢斗さんが演じるはずだったのは、藤原隆家は竜星涼さんが演じることになりました。

今回は「【光る君へ】永山絢斗が演じる予定だった藤原隆家の代役を竜星涼さんが演じることになった経緯や、瑛多(えいた)さんではない理由について、分かったことをお伝えします。

光る君へ・藤原隆家の代役は竜星涼さん

「光る君へ」を降板した永山絢斗被告の代役は、竜星涼さんが務めるとの、ニュース報道があり、その後正式に発表がありました。


竜星涼さんにとって、NHK大河ドラマに出演するのは初めてのことなんだとか!

竜星涼さんは、NHKのテレビドラマ「ちむどんどん」に、主人公の兄・賢秀役(にーにー)で出演。

 

ちなみに、ちむどんどんで共演、長女・良子を演じた川口春奈さんも、以前NHK大河ドラマ「麒麟がくる」で、濃姫を演じる予定だった沢尻エリカさんの代役をつとめていました。


竜星涼さんといえば、TBS日曜劇場ドラマ「VIVANT」にも出演するなど、活躍中です。

 

 

【光る君へ】降板俳優の代役が永山瑛多さんではない理由とは?

永山絢斗さんの今回の逮捕劇を受け、釈放されたとしてもそのままキャスティング続行はまずないことが分かりました。

これまでにもNHK大河ドラマでは、2019年の「いだてん」で、主人公の金栗を支えた足袋店店主・黒坂辛作を演じたピエール瀧さんが麻薬取締法違反容疑で逮捕となり、降板。

三宅弘城さんが代役を務めました。

翌年2020年の「麒麟がくる」では、濃姫役を演じる沢尻エリカさんもピエール滝さんと同じ内容で降板となり、川口春奈さんが代役を務めています。

 

永山瑛太さんの代役はデマだった

永山絢斗さんの騒動が報じられた時、SNS上では、お兄さんである永山瑛太さんの代役を予想する声がありましたが、まずありえないでしょう。

確かに永山瑛太さんは演技派で大河ドラマ出演経験もあり「篤姫」・「西郷どん」などに出演していました。

永山絢斗さんの実の兄ということで当然ながら、雰囲気や顔も似ています。

ただもし本当にそうなったとすると、どうしても今回の弟の件がクローズアップされるでしょう。

そう考えると、瑛多さんのキャスティングの可能性は限りなくゼロに近いと考えられます。

 

 

【光る君へ】藤原隆家(ふじわらのたかいえ)はどんな人物?

永山絢斗さんが演じる予定だった「藤原隆家(ふじわらのたかいえ)」は、どんな人物だったのでしょう?

藤原道長のであるものの、敵対関係となる役柄です。

歴史的観点からも、藤原道長との関係性においても重要な役と考えられます。

藤原隆家は、「刀伊の入寇(といのにゅうこう)」という、海賊が壱岐対馬や九州を侵略した際に撃退して、日本を守ったと言われています。

そんな藤原隆家は「天下のさがなもの」と言われていたとのこと。

「さがなもの」とは、「荒くれもの」ともいわれ、「枕草子」などにも多くの逸話が残っています。

令和の時代、現代でいうところの「不良」「ヤンキー」といったところです。

とはいえ、叔父である藤原道長からの嫌がらせにも屈することはなく、自分の信ずることを貫こうとし、容易に人に屈服しない強い心を持った人物でもあります。

平安時代というと、貴族が蹴鞠をたしなんだりや和歌を詠みながら優雅に過ごすイメージがありますが、藤原隆家は特に異彩を放ち武闘派として知られています。

そんな藤原隆家という人物について、もう少し踏み込んでみますと、979年に藤原道隆の四男として誕生。

藤原道隆は藤原道長の兄で、姉は藤原定子です。

藤原定子は清少納言という著名な作家の仕える女性でした。そのため、彼女の著書である枕草子には、若かりし頃の隆家が何度も登場しています。

995年、17歳の藤原隆家は中納言という高い地位につき、藤原一族の名に恥じない上品な人生が保証されていました。

一方で、彼はかなり有名な問題児でもありました。現在の言葉で言えば、思春期の若者や不良といった存在だったといえます。

996年、隆家と兄の伊周の従者が花山法皇に矢を放つという事件が起こりました。

この罪により、隆家は出雲に左遷となり、この事件は「長徳の変」と呼ばれています。

藤原道隆(隆家の父)が亡くなり、道長と伊周の間で後継者争いが起こった背景があります。

997年になると、隆家は京都に戻り、政務に復帰します。

そして、1012年、隆家は目の病気にかかり、名医がいると評判の九州へ向かうことになります。

この時、隆家が九州に滞在していた間に、刀伊の入寇と呼ばれる事件が起きました。

1019年、刀伊と呼ばれる集団が壱岐・対馬を襲撃し、筑前国に侵攻します。

刀伊は満州族と呼ばれる民族で、約3,000人の彼らが九州に侵攻しました。

壱岐・対馬では約400人の民衆が犠牲になり、さらに1,200人以上が奴隷として連れ去られました。

その結果、壱岐・対馬には人が住まなくなり、刀伊は九州本土に上陸し、博多湾への侵入を始めました。

この危機に対し、藤原隆家が徹底抗戦を挑みます。

当時、隆家は九州を治める役職に就任していたため、朝廷の指示を待たずに刀伊の襲撃に対応しました。

隆家は九州の武士団や海賊衆を緊急招集し、刀伊に対して徹底的な抵抗を行います。

70歳を超える老将である大蔵種材も参戦し、隆家と共に軍を指揮し、奮戦しました。

当時の70歳は現代で言えば90?100歳くらいの年齢に相当するのですが、高齢者まで動員されるほど危機的な状況でした。

隆家や大蔵種材らの防戦により、刀伊は最終的に撤退し、日本軍は勝利。

刀伊の侵攻後、藤原隆家という武闘派の存在が偶然にも九州にいたことで、国難を乗り越えることが出来たのです。

しかし、朝廷の反応は分かれました。

一部では「隆家が独断で行動したため、恩賞は不要」とする意見がある一方で、「多くの犠牲者を撃退した隆家には恩賞を与えなければ、将来戦う者が現れなくなる」という意見もありました。

藤原公任という有名な歌人は前者の意見を支持し、藤原実資という人物は後者の意見を持っていました。

最終的には後者の意見が採用され、隆家や地元の武士団には恩賞が与えられることとなりました。

平安時代中期は貴族がのんびり過ごしている印象が強いですが、外敵の侵攻によって日本は危機に直面しました。

もしも武闘派の藤原隆家が九州に赴任していなかったら、被害はさらに拡大していた可能性があります。

刀伊の入寇は、規模こそ異なりますが、後の元寇(蒙古襲来)と同様に国家的な危機であり、その危機を撃退した藤原隆家は、より評価されるべき人物であると言えます。

ただ隆家の人物像をこうやって見ると、ドラマ内において結構重要な役どころになりますね。

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