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【光る君へ】ちやは(まひろ紫式部の母)の死因は史実?藤原道兼が怖すぎる?

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この記事は、NHK大河ドラマ「光る君へ」の第1回放送で描かれた、ちやは(まひろ紫式部の母)が、藤原道兼に刺殺された場面について、死因が史実なのか?お届けします。

平安時代・紫式部の世界が描かれる、ということで雅な世界観が続くのかと思いきや、衝撃の場面です。

それではどうぞ。

【光る君へ】ちやは(まひろ紫式部の母)の死因は史実?

まずは第1話のストーリーをざっくり見ていきます。

NHK大河ドラマ「光る君へ」に最初に出てきた時代背景は、貞元2(977年)の暮れです。

まひろ(紫式部)の父藤原為時は博学だが不器用な人物で上役にうまく取り入れることが出来ず、下級貴族として貧しい暮らしをしていました。

まひろの家には鳥の餌を買う余裕もないほどです。

そのため、まひろの母親・ちやは(国仲涼子さん)が、自分の着物を売ったりして何とか生活をしていました。

そんなある日、まひろは鳥を逃がしてしまい、探しているところで三郎(後の藤原道長)と知り合います。

まひろが「自分は姫です」と名乗ったことがキッカケで、二人は仲良くなり、それからも会う約束をして会っていました。

2度目の約束をした日は、まひろの父・藤原為時がついに職を得ることが出来たので、神社にお礼参りに行く日でもありました。

まひろは、母・ちやはと従者の乙丸と共にお礼参りをすませると、三郎との約束を果たすために、母と従者を置いて駆け出してしまいます。

まひろは、そこにいた馬の前に飛び出してしまい、馬に乗っていた三郎の兄・道兼を落馬させてしまいます。

道兼はこの無礼さに激怒し、まひろを蹴飛ばします。

すぐに、ちやはが道兼を止めてまひろに詫びさせるのですが、気性の荒い道兼は逆上。

道兼の従者の持つ太刀を抜いて、去りかける、ちやはの背中に突き刺すのでした。

まひろは慌てて駆け寄るも、母・ちやはは、絶命。

道兼は馬に乗って去ってしまいました。

ちやはが第1回の放送で、いきなり殺められ亡くなるとは、かなり衝撃的な展開です!

ちやはを演じる国仲涼子さんと言えば、2001年の朝ドラ「ちゅらさん」でヒロインにキャストされてました。

以外にも国仲涼子さんは今回のNHK大河ドラマが「初出演」だそうですが、もう退場となってしまうのがちょっぴり寂しいです。

個人的には回想シーンでもいいから、又出てきてほしいです。

 

【光る君へ】ちやは(紫式部の母)の死因は史実?

ということで、ちやは(まひろ・紫式部の母)の死因は史実なのかどうか?調査しましたが、史実ではありません。

ただ、紫式部の母親が史実では4歳のころに亡くなっていることは分かっています。

紫式部 時代背景
970 誕生 この時の天皇は円融天皇
973 母が死亡(4歳)
984 父が式部省の役人になる(15歳)  円融天皇退位し、花山天皇即位へ
986 父が職を失う(17歳) 花山天皇退位し、一条天皇即位へ

 

紫式部は、早くにお母さんを亡くしていたのですね。

今回の脚本を担当している、大石静さんは「光る君へ」を「戦乱の世に負けないスリリングな展開にする」とインタビューに答えています。

又、こんなコメントも↓

「史実ではありません。母親はまひろが小さい時に亡くなっているらしいといわれています。幼い頃に母を亡くしているのはその後の人間形成にとってとても大きいこと。

それで、どうして亡くなったことにするのかを考えていた時に、道長の家の次男をちょっと乱暴な人物のキャラ設定をしていたので、結び付けることを思い付きました。

そうすると、まひろにとっては愛した人の兄が親の敵になるので、悲しい宿命になると発想して書きました」

ということで、今回このようなストーリー展開になったのではないでしょうか。

もし本当に藤原の道兼によって、紫式部の母が非業の死を遂げていたなら、文才のある紫式部が、何らかの形で書き残してるのでは?

ちなみに、NHK大河ドラマの第1回でいきなり主人公のお母さんが亡くなるのは、2012年に放送された第51作「平清盛(主演:松山ケンイチさん)」以来です。

 

 

この時は平清盛の生母にあたる舞子(吹石 一恵さん)が第1回の途中で弓矢で射殺されていました。

 

 

紫式部の母親|ちやは(藤原為信女)はどんな人?

藤原為時の娘であり、紫式部の母親とされる女性についての詳細は、残念ながらほとんど分かっていません。

彼女は藤原為信の娘であり、藤原為時と結婚して紫式部や、藤原惟規(式部の弟)を産んだ人物です。

彼女が結婚した時期については、為時が播磨権少掾(兵庫県南西部の国司の地位)に就任した頃とされています。

この時、彼女は長女を969年に、次女を970年に、そしてその2年後には長男を産んだとされています。

子供を3人も育てるというのは、令和の現代でさえ大変なことですが、1000年以上前の時代においては、出産環境が厳しく、乳幼児の死亡率が高かったため、その育児はさらに大変だったでしょう。

残念ながら、彼女は長男を出産した後に亡くなっています。

彼女が亡くなった後、為時は再婚。

他の女性との間にも子供をもうけていますが、彼女以外の妻や継母についての具体的な情報はほとんど分かっていません。

そして、紫式部の日記には、母親のことがほとんど記されていません。

紫式部が3歳か4歳頃に母を亡くしたと推測されており、そのため、幼い頃の母親の思い出は残されてないのかもしれません。

 

藤原道兼の生涯とは?

そんな藤原道兼の性格は、ドラマで描かれているようにヒドイものだったのでしょうか?

歴史書などによると、容貌は悪く、剛腹で片意地なところがあり、偏執的な性格だと評されています。

そんな道兼を主人公の母を殺した悪役キャラとして、「光る君へ」では登場させているのかもしれませんね。

そして藤原道兼のその後ですが、花山天皇を退位させた「寛和の変(かんなのへん)」でも知らています。

道兼は、花山天皇の蔵人頭(くろうどのとう)として仕えていたものの、父・兼家は花山天皇を退位させて、自らの孫にあたる一条天皇即位を目論見ました。

そこで父・兼家の意向を受けた道兼は、愛する人を失ったばかりの花山天皇に出家を勧めます。

花山天皇は道兼も共に出家すると言うので、信頼おける道兼と一緒ならばと退位して出家する道を選択。

しかし道兼は出家する前に「父に別れを告げてくる」と言い、その場を立ち去り花山天皇のもとに戻ることはありませんでした。

そう、一族の繁栄のために天皇を裏切ったのです。

その後、父・兼家が亡くなり、長兄の道隆が関白に就任。

道隆は天皇を補佐する関白を約5年ほど務めたのち亡くなりました。

そしていざ道兼に関白の地位が巡ってきますが、就任からわずかで亡くなってしまうのです。

このため藤原道兼は「七日関白」と後世では呼ばれています。

藤原兼家役のキャスト俳優は玉置玲央さん

藤原兼家を演じる玉置玲央さんについても少しご紹介します。

玉置玲央(たまおきれお)

生年月日
1985年3月22日
出身地
東京都
身長/体重
171cm
B/W/H
88/67/89 靴 26.5cm
特 技
運動全般(ばく転、宙返り)
所 属
劇団「劇団柿喰う客」
受 賞
第73回毎日映画コンクールスポニチグランプリ新人賞 受賞!(映画『教誨師』)

引用元:公式サイト

俳優の玉置玲央さんは、2024年現在38歳です。

高校の演劇科卒業後に、劇団「柿喰う客」の中心メンバーとして活躍!

劇団以外でも、『夢の裂け目』『Take Me Out 2018』『秘密の花園』『イヌの日』など数多くの作品に出演。

近年では映像作品でも活躍の場を広げ、NHK土曜ドラマ『サギデカ』、『TWO WEEKS』などにレギュラー出演しました。

NHK朝ドラ「おかえりモネ」で、社会部記者の沢渡役を演じていたのも記憶に新しいところです。

最近ではNHKドラマ10「大奥」で、赤面疱瘡撲滅に奮闘する黒木役を演じ注目を集めました。

大河ドラマは「真田丸」「麒麟がくる」に次ぎ三度目の出演となります!

私生活では、2021年に若月佑美さんと結婚されたこともニュースになりましたね。

 

大河ドラマ「光る君へ」に関して、以下の記事もチェックしてください↓

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