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【光る君へ】藤原道兼が暴力的な性格は史実で実話?兼家パパへの忠誠心がヤバい

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NHK大河ドラマ「光る君へ」で、藤原家の次男として登場している、藤原道兼。

道兼は、ドラマの中で初回放送から暴力的な面があり、特にまひろ(吉高由里子さん)にとって、生涯にわたり憎みきれない因縁の相手(悪役)として描かれてます。

藤原道兼は、史実でも暴力的な人物だったのでしょうか?

気になったことを調査しました。

 

【光る君へ】ドラマの道兼が暴力的でヤバイ?!

まずは、初回放送からの道兼のエピソードを見ていきます。

「光る君へ」で描かれる藤原道兼は、上級貴族・藤原兼家(段田安則さん)とその妻・時姫(三石琴乃さん)との間に生まれた次男。

兼家パパは、長男の道隆(井浦新さん)に家を継がせようと考えており、さらなる藤原家の繁栄のために、道兼を汚れ役に徹しさせます。

兼家パパの思いを分かっている道兼は、鬱屈した気持ちを晴らすため、弟の三郎(木村皐誠さん)に暴力をふるっていました。

あるとき道兼が、三郎を殴りつけていると、母・時姫にとがめられます。

「三郎が出過ぎたことを言うので叱っていた。」という道兼に、三郎はこう答えました。

「意に沿わぬことがあったからとて、弱き者に乱暴を働くは、心小さき者のすること。」

そう三郎が言ったことに腹を立て、道兼は殴りつけたのでした。

道兼は母に「身分低きものを殴って私の心が治まれば、それでよろしいと思います。」と言い返します。

母・時姫が「おだまりなさい!!」と道兼を叱責!

すると、道兼は三郎の襟元をつかみ「母上までたらしこんで恐ろしい奴だ」と言って投げ飛ばし、館を後にするのでした。

「光る君へ」道兼はなぜ刺した?

その後、道兼が馬を走らせていると、脇道からまひろ(落井実結子さん)が飛び出してきて、道兼は落馬してしまいます。

怒った道兼はまひろを蹴り飛ばすと、母・ちやは(国仲涼子さん)が駆け寄ります。

ちやはがまひろに詫びさせ、道兼は背を向けて馬に乗ろうと、まひろたちもその場を去ろうとしたのですが・・・

道兼の従者が道兼様を黙らせるとは肝の据わった女子でございます。

その一言に触発されたのか、道兼は従者の刀を奪って背後からちやはを刺したのでした。

【光る君へ】藤原道兼の兼家パパへの忠誠心もヤバい

ちはやを刺した件を知った兼家パパは、道兼の従者を自らの手で亡き者に。

そのことを道兼に告げ、「お互い汚れた者として、この件は誰にも言ってはならぬ」と言い、藤原家のため、ここから道兼の兼家パパへの忠誠心が高まります。

花山天皇が即位したことで、右大臣家の地位が危うくなりかけると、兼家パパのために道兼が奔走します。

第9話で、道兼はわざとまひろの父・藤原為時(岸谷五朗さん)の同情を買い、為時が花山天皇に「道兼は父から疎まれており、帝の力になりたいと願っている。」と進言するように仕向けます。

道兼は、花山天皇に信用されるため、自らの身体じゅうを傷つけます。

為時から傷の様子を聞いた花山天皇は、道兼を呼びつけ、道兼は衣服を脱ぎ、そのアザだらけの姿を見せ、こう言います。

「時おり正気を取り戻す父に殴られたのです。」

その姿に花山天皇もすっかり騙されたのでした。

 

 

【光る君へ】藤原道兼は本当はどんな人?

いくら藤原家のためとはいえ、道兼はとんでもなく暴力的な面が描かれてますが、史実の藤原道兼は、ドラマ同様、紫式部の母親を殺めたという事実はありません。

今回の大河ドラマオリジナルのストーリーとなります。

ですが、歴史書「大鏡」「栄花物語」によると、道兼を剛腹で片意地なところがあり、偏執的で冷酷な性格だと評されています。

さらに容姿は顔色が悪く、毛深く醜かったとも書かれています。

史実でこのように伝わっている藤原道兼を、今回「光る君へ」の脚本を担当した大石静さんが上手く取り入れたようです。

大石静さんがインタビューで↓のように語っていました。

大石いわく、ちやはが道兼に殺害される展開は史実として残ってはないとのこと。

「ですが、紫式部が幼い時に母親を亡くしたという説はあります。

そのことは彼女の人生にとって大きな出来事だと思ったので、道長を絡めて描けないだろうかと考えた時に、藤原の三兄弟(道隆・道兼・道長)の次男の道兼は乱暴な人物で、のちに変化していくことになるんですけど、彼のキャラと母の死を結びつけることを思いつきました。

そうすることで、まひろにとって愛した人の兄が親の敵になる。 そういう宿命が組んでいけるなと発想していきました」

引用元:シネマトゥデイ

 

歴史書で「冷酷な人物」だったと書かれている道兼は殺人までは犯すほど暴力的な人物でなかったとしても、周囲から怖がられていたようですね。

史実では父親からの指示を受けて、花山天皇を出家に追い込むなど暗躍していく道兼ですが、その辺りの史実は、第10話以降に描かれていきます。

 

 

【光る君へ】道兼より息子の兼隆がヤバい?

大河ドラマの中では、かなりヤバい人物として描かれてる藤原道兼ですが、生涯や死因はどうだったのでしょう?

ドラマでは3兄弟の次男として描かれてる、藤原道兼(961~995)。

史実では、摂政を関白を務めた兼家の三男として誕生しています。

(史実通りに描いてしまうと、あまりに兄弟が多すぎて収拾がつかなくなるから?大河ドラマでは次男設定なのかな?と推測しています。)

道兼は長徳元年(995)に関白だった兄の道隆が亡き後、あとを次いで関白に就任。

ところが道兼も就任直後に急死しています。

そのため道兼は「七日関白」と称され、道兼の死後に内覧として職務を引き継いだのは、弟の道長でした。

ドラマでも「七日関白」として描かれるでしょうから、道兼は可哀想ですよね。

大河ドラマの道兼は、暴力的ですが、史実では道兼の息子・兼隆(985~1053)の暴力エピソードもなかなか酷いです。

藤原実資の日記『小右記』の記事によると、「藤原兼隆が厩舎人(うまやとねり:主人の馬を世話する従者)を殴り殺させた」と書かれています。

兼隆が自らの手で厩舎人を殴り殺したのではなく、配下の者に命じて殺害させたようです。

のだろう。ただ、『小右記』を見ても、厩舎人が殴り殺された理由は書かれていない。ドラマで道兼は従者を殴り倒していたが、兼隆は殺してしまったのである。

当時、兼隆は29歳だったので、十分に分別があったはずなので、陰惨な内容です。

この当時は主人が従者を殺めても、特段罪には問われない。

上級貴族が気分次第で従者を殺すことは、十分にありうることだったようです。

他にも、『小右記』長和3年(1015)正月28日条によると、兼隆は右大臣だった藤原実資の下女の家を襲撃。

さんざん略奪した挙句に、家を打ち壊したと書かれています。

兼隆が凶行に及んだのは、兼隆の下女と実資の下女が口論となり、激怒したからだったそう。

ただ、諍いの原因であった井戸が属する土地の所有権が兼隆ではなく、実は実資のものであったことが判明。

すると、兼隆は打って変わって低姿勢となり、自らの下女が受けた被害は不問とし、実資の下女に与えた被害は全て補償する旨の書状を実資に対して出している、という記録があります。

「光る君へ」で、道兼の息子が登場するかどうかは不明ですが、当時の平安貴族たちは気の短い方が多かったのかもしれないですね。

 

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