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【虎に翼】ヒロイン寅子(伊藤沙莉)のモデルはどんな人?日本初の女性弁護士・裁判官を調査

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この記事は、2024年4月1日から始まるNHK朝ドラ「虎に翼」で、伊藤沙莉さん演じるヒロイン・猪爪寅子のモデルについて分かったことをまとめてます。

猪爪寅子のモデルとなるのは、三淵嘉子(みぶちよしこ)さん。

三淵嘉子(みぶちよしこ)さんは、明治大学の出身で、日本初の女性弁護士、後に裁判官となった人物です。

合わせて、ヒロイン・猪爪寅子を演じる伊藤沙莉さんについてご紹介します。

 

【虎に翼】猪爪寅子のモデルは三淵嘉子(みぶちよしこ)さん

2024年4月1日放送開始のNHK朝ドラ「虎に翼」のヒロイン・猪爪寅子のモデルとなったのは三淵嘉子さんです。

三淵嘉子さんは、明治大学のご出身で日本初の女性弁護士、後に裁判官となった人物です。

失礼ながら「初の女性弁護士」ということで、三淵嘉子さん厳しそうな方なのかな??と思って画像を見てみると、とても穏やかな表情の方です。

三淵嘉子さんの出生について

三淵嘉子(旧姓武藤)さんは、台湾銀行勤務に勤務する父・武藤貞雄さんと母・ノブさんの長女としてシンガポールで、1914年1月30日に生まれました。

嘉子、と言う名前は生まれたシンガポールの”漢字表記”から名づけられています

(シンガポールの漢字表記=新嘉波)

その後、父・貞雄さんがニューヨーク勤務となってからは、母・ノブさんや三淵嘉子さんは父・貞雄さんの生まれ故郷である香川県丸亀市にて暮らします。l

1920(大正9)年に父・貞雄さんが日本に帰国後、家族揃って東京都渋谷区に転居。

父・貞雄さんは、当時としては珍しい男女平等の考え方の持ち主で、三淵嘉子さんに、幼いころから「男の人と対等に育つような」問いかけをしてきました。

「普通のお嫁さんになる女性としての生き方でなく、政治でも、経済でも全ての分やにおいて男性と同等に理解できるようになりなさい。

そんな人になるには、嘉子も何か専門の仕事をもつ為の勉強をした方が良いよ。

医者になるか弁護士はどうかな?」

三淵嘉子さんは、父・貞雄さんの幼いころからの影響で「家庭に入り専業主婦になるのではなく、仕事を持ち、働くことを推奨する考え方」の持ち主となりました。

「虎に翼」では、父・貞雄さんをモデルとした猪爪直言(いのつめ・なおこと)を岡部たかしさんが演じています。

ブギウギで「アホのおっちゃん」を演じた岡部たかしさんが、「虎に翼」では日本初の女性弁護士の父、として転生されてます。

母・ノブさんをモデルとした猪爪はるを演じるのは、石田ゆり子さんです。

 

 

 

みぶちよしこさんが弁護士になるまでの生い立ち・経歴

三淵嘉子さんは1932(昭和7)年3月にお茶の水女子大学の前身である東京女子師範学校附属高等女学校を卒業。

三淵嘉子さんは、女学校を卒業後、1932(昭和7)年4月に第4期生として明治大学専門部女子部法科に入学されました。

なぜ明治大学に入学したかと言うと、ちょうどその翌年の1933(昭和8)年5月に弁護士法改正が改正され、女性も弁護士となることが認められることになったからです。

明治大学専門部女子部法科に入学高等女学校を卒業した年には、女子が法学を学ぶことができる専門の学校は、弁護士法改正を見越して1929(昭和4)年に創設された明治大学専門部女子部法科(3年制)の1校のみ、だったのでした。

 

実は父・貞雄さんは「女子であっても仕事を持つべき」という考えの持ち主でしたが、母・ノブさんの考えは真反対!

母・ノブは、「法律を勉強するなんて、嫁の貰い手が無くなる」と泣きながら三淵嘉子さんの入学を猛反対されたんだとか。

「家庭裁判所物語」の書籍36ページに、三淵嘉子さんの母について書かれています。

三淵嘉子は明治大学専門部女子部に進学するために卒業した高等女学校(東京高等女子師範学校)から、卒業証明書をもらってくると、母・ノブが「これで、娘は嫁に行けなくなった」と泣き出した、、、と言うエピソードがありました。


その後、明治大学専門部女子部法科を卒業した1935(昭和10)年には、明治大学法学部に編入。

そして、1938年に高等試験司法科試験に合格し、明治大学を卒業。

1940年に第二東京弁護士会に弁護士登録。

明治大学で同窓だった中田正子さん、久米愛さんと共に日本初の女性弁護士となられました。

女性初の快挙ということで、当時の新聞には大きく取り上げられることになりました。

「虎に翼」では、中田正子さんがモデルとなった、桜川涼子を桜井ユキさんが演じます。

久米愛さんをモデルとした山田よねを演じるのは、土居志央梨さんです。

ちなみに、三淵嘉子さんのご両親は、父・母ともに1947年に亡くなられています。

「女性初の弁護士」として新聞にまで取り上げられたということで、「嫁の貰い手がなくなる」と反対していたものの、娘の活躍は嬉しかったのではないでしょうか。

 

三淵嘉子さん・裁判官となるまで

三淵嘉子さんは、1947(昭和22)年3月に、裁判官採用願を司法省に提出しています。

これは後にご紹介する、最初の夫の死後により経済的自立が必要となったためです。

この時、裁判官としての採用はされずに終わりました。

その後、司法省民事局での勤務を経て、最高裁判所発足時には最高裁民事局局付、家庭局創設時には初代の家庭局局付に就任しています。

裁判官採用願を提出した2年後の1949(昭和24)年6月に東京地裁判事補となります。

そして1952年、名古屋地方裁判所で初の女性判事となられました。

 

 

三淵嘉子さんのプライベート・結婚や子供について

続いて、三淵嘉子さんのプライベートについて見ていきます。

三淵嘉子さんは、1941(昭和16)年11月に、実家である武藤家の書生をしていた和田芳夫さんと結婚。

1943(昭和18)年1月に、第一子である芳武さんを出産されます。

ですが、夫・芳夫さんは、1944(昭和19)年6月に戦争のため招集されます。

三淵嘉子さんは、幼い息子を抱えながら、東京都港区青山にあった自宅が空襲で焼けたため、福島坂下町へ疎開するなど、苦しい生活を強いられます。

その後、夫・芳夫さんは召集先の中国で発病し、1946年に帰国後長崎の陸軍病院で病死。

夫の最期に会えなかったそうです。

三淵嘉子さんは幼子を連れて、福島に疎開したり、両親の住む川崎市に移り住むなど苦労の時期がありました。

「虎に翼」にて、和田芳夫さんをモデルとした佐田優三を演じるのは仲野太賀(なかのたいが)さんです。

 

三淵嘉子さんの再婚について

1956(昭和31)年8月には、最高裁調査官の三淵乾太郎さんと再婚され、三淵姓になります。

夫となった三淵乾太郎さんは、初代最高裁長官・三淵忠彦さんの長男。

前妻を病気で亡くし、4人の子ども(1男3女)がいました。

三淵乾太郎さんをモデルとした星航一を演じられるのは岡田将生さんです。

 

夫・三淵乾太郎とは?

三淵乾太郎さんは、初代最高裁長官の長男で、自身も裁判官となりました。
前妻を病気で亡くし、前妻との間に4人の子ども(1男3女)がいます。

三淵乾太郎(みぶちかんたろう)

  • 生年月日:1906年(明治39年)生まれ
    嘉子の9つ上
  • 父親:初代最高裁長官・三淵忠彦さん
    乾太郎は長男
  • 前妻:三淵祥子(病死)
  • 子供:前妻との間には4人の子ども(1男3女)
  • 1956年(50歳):嘉子と再婚
    当時の役職:最高裁調査官
    のち浦和地裁所長

再婚相手:三淵乾太郎
乾太郎の連れ子
・長女:那珂
・次女:奈津
・三女:麻都
・長男:力

 

 

家裁所長に就任

1963年から1972年まで、東京家庭裁判所判事を務め、少年部では合計5000人もの少年少女の審判を担当しました。

そして1972年、新潟家庭裁判所長に任命され、初の女性家庭裁判所長となります。

家裁所長になってからは、その後は数々の地裁の所長となります。

 

 

  • 1973年11月:浦和地裁の所長
  • 1978年1月:横浜地裁の所長

三淵嘉子さんは、家庭問題に深刻な悩みを抱えた人々の心を少しでも和ませようとの心遣いがあったようです。

薄汚れていた調停室の壁を明るい白に塗りかえ、壁に絵をかけ、カーテンを新調し、昼休みには廊下に静かな音楽を流す

三淵嘉子さんは、65歳で定年退官します。

 

 

晩年・再び弁護士になる

1979年に退官後の翌年(1980年)再び弁護士となり、日本婦人法律家協会の会長や労働省男女平等問題専門家会議の座長を務めました。

1980年、再び弁護士として活動
・弁護士(第二東京弁護士会所属)を開業
・労働省男女平等問題専門家会議座長、東京家裁調停委員兼参与員、東京都人事委員会委員、労働省婦人少年問題審議会委員などの要職を歴任

1984年5月28日午後8時15分、骨癌のため69歳で死去しました。

小田原の三淵邸・甘柑荘(かんかんそう)で過ごす

神奈川県小田原の三淵邸・甘柑荘(かんかんそう)で、嘉子と夫・三淵乾太郎さんは晩年を過ごしていました。

甘柑荘(かんかんそう)

  • 夫・三淵乾太郎さんの父、三淵忠彦さん(初代最高裁判所長官)が、昭和初期に別荘として建てた近代数奇屋風住宅
  • 甘柑荘の呼び名は、庭に植えられた密柑(みかん)や檸檬(レモン)、金柑(きんかん)などに由来
  • 神奈川県小田原市にあり、ご子孫の方が保存する歴史ある建物
  • 特別公開時にはお茶席が設けられる

69歳で亡くなるまで、弁護士として活躍されていました。

 

 

【虎に翼】ヒロイン・猪爪寅子を演じるのは伊藤沙莉さん

ここからはあらためて「虎に翼」のヒロイン・猪爪寅子を演じる伊藤沙莉さんの経歴を見ていきます。

  • 名前:伊藤 沙莉(いとう さいり)
  • 生年月日: 1994年5月4日(2024年現在、29歳
  • 出身地:千葉県
  • 身長 151 cm
  • 血液型 A型
  • 活動期間 2003年~
  • 著名な家族:伊藤俊介(兄)
  • 所属事務所:アルファエージェンシー

伊藤沙莉さんは、元々はダンサー志望。

2003年、9歳の時にドラマ「14ヶ月〜妻が子供に還っていく〜」で芸能界デビューします。

この時演技未経験ながら、身体が少女に若返ってしまった女性研究員という難役を演じた事で、話題になります。

2005年のドラマ「女王の教室」では、イジメ役を演じて注目を浴び、2007年公開の映画「兎のダンス」では主演を務めます。

また、2015年には女性同士の恋愛を描いた連続ドラマ「トランジットガールズ」にて佐久間由衣さんとともに主演を務めたことで話題に。

伊藤沙莉さんはその後も、数多くの作品に出演。

その演技力が高く評価されており、2018年11月には「第10回TAMA映画賞」最優秀新進女優賞を受賞。

2019年2月には「第40回ヨコハマ映画祭」助演女優賞を受賞しています。

2021年2月には映画「劇場」「ホテルローヤル」「十二単衣を着た悪魔」の演技で、「第63回ブルーリボン賞」助演女優賞を受賞するなど、多くの賞を獲得されています。

 

今回はNHK朝ドラ「虎に翼」のヒロイン・猪爪寅子のモデルとなった三淵嘉子(みぶちよしこ)さんについて分かったことをまとめてお伝えしました。

三淵嘉子さんは、明治大学のご出身で日本初の女性弁護士、後に裁判官となった人物です。

父・貞雄さんの「女性も仕事を持つべき」という考えに影響を受け、母・ノブさんからの反対を受けながらも法学を学ぶため明治大学専門部女子部法科に入学。

日本初の女性弁護士、そして女性裁判官となった方です。

三淵嘉子さんの半生をモデルに、描かれる朝ドラ「虎に翼」。

どうぞお楽しみください~!!

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