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ボヘミアンラプソディ映画で事実と違う点を特定!史実を変更した理由とは

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『ボヘミアン・ラプソディ』の映画は、2018年に公開されて全世界で大ヒットとなった人気映画です。

ですが、クイーンやフレディ―マキュリーのコアなファンからは、事実と違う内容があるとか、時系列が違う、と違和感を持つ声があがっています。

そこで「事実を知りたい!」という方のために、今回は映画「ボヘミアンラプソディ」のストーリーの中で史実や事実と違う点を特定して、何故変更したのかその理由を、時系列でまとめながらお伝えしていきます。

 

①フレディがクイーンの前身バンドのスマイルに加入した時期が違う

ボヘミアンラプソディの映画で、フレディマーキュリーとブライアン・メイ、ロジャーテイラーが在籍していたバンド「スマイル」のライブを見た後、ボーカル兼ベースのティムスタフェルが脱退しています。

映画では両親と喧嘩したフレディが、クイーンの前身バンドであるスマイルの1970年に行なったギグをたまたま見たことになっていました。

スマイルは、当時ロジャーテイラー とブライアンメイとボーカル兼ベーシストのティムスタフェルで結成されていました。

そして、フレディはライブ後にメンバーと知り合います。

その数分後に都合よくティムスタフェルが脱退しています。

そこでフレディは、曲も作るとアプローチしたことがキッカケになり、「Doing Alright」をアカペラで歌い出します。

二人はフレディがアカペラを歌い出すまでは、この出っ歯の男に歌えるのかよ・・・と期待していませんでしたが、その歌を聴いた途端、ブライアンとロジャーが「よし、きめた!」といわんばかりにフレディをバンドに迎え入れました。

ところが実際はフレディはずっと前からスマイルのファンで、しかもティムとは長年の友人でした。

スマイルは1968年10月に当時大学生だったブライアンとティムのバンドが学校の掲示板にバンドメンバー募集のチラシを貼り、所属していたバンドが解散になりそのチラシを見たロジャーがコンタクトを取ってきて加入しました。

1969年にティムがリハーサルに友人のフレディを連れてきたことで、フレディはファンになりアドバイスを言うようになりました。やがてスマイルはイエスやジミ・ヘンドリックスなどの前座をつとめるまでになるほどの人気・実力を持つバンドになりました。

フレディは徐々に音楽に傾倒していき、自分もスマイルのメンバーになりたくて、

「自分が歌うから一緒にバンドをやろうぜ!!」としつこくアプローチしてきました。

ですが、ブライアンたちは本気にしていませんでした。

その理由は、当時フレディマーキュリーは美術大学の学生で、多くの肖像画、ポップアートなどを作成し、洋服のデザインも手がけ、ファッションショーで多くの作品も発表していたからです。

ブライアンはしつこくアプローチしてくるフレディに対して、「優秀なデザイナーであるのは認めるけど、派手好きなだけで音楽はどうせ趣味の一つぐらいにしか思ってないんだろう。」と本気にしていませんでした。

友人の中には、フレディマーキュリーは音楽よりグラフィックの道に進むべきだとアドバイスする人もいたほど、デザイナーの才能があったのです。

たしかにクイーンの初期のフレディマーキュリーの斬新な衣装をみているとそのデザイナーの才能があることが分かります。

そんな時、ボーカル兼ベースのティムが1970年3月にスマイルを脱退し、ブライアンは以前からしつこくアプローチをしてきていたフレディマーキュリーのことを思い出し「一緒にやってみないか?」ということになりました。

ティムが脱退した理由については、方向性の不一致でした。

「3人と意見が合わなかった」と後のインタビューでティムが語っていました。

3人は劇的な要素を含むショウとしてのステージをしたいと思っていましたが、ティムは純粋なロックをしたかったので、方向性が合わなくなってしまったのは仕方のないことだったのです。

3人とは、ブライアン、ロジャー、フレディのことです。

フレディはまだメンバーではありませんでしたが、ティムとは友人ですし、ライブを聴きに行くと「自分ならこうする」などスマイルに意見を出していました。

ブライアン、ロジャー、フレディは方向性が合っていましたが、ティムは合わなかったため脱退したことは、インタビューでティムが語っており、「脱退してよかったよ」と笑顔で話していました。

なお、バンド名をスマイルからクイーンに変更したのは映画のとおり、フレディの提案です。

ちなみに、ティムはスマイルを脱退後、違うバンドに加入しています。

その後1970年代の中頃になると音楽業界を離れ模型製作の道に進み、日本でも有名な『きかんしゃトーマス』シリーズの“トーマスとなかまたち”を手掛けました。

その後、フレディが亡くなった後の1992年12月22日に開催されたクイーンのファンクラブのクリスマスパーティで、ロジャーのバンド、ザ・クロスの前座として、ブライアン、ロジャーと共にステージに立ちました。

さらに、『ボヘミアン・ラプソディ』の映画にも協力しています。

ブライアンからメールが届き、この映画にスマイルの存在が必要だと告げられ、ティムが去る最後のライブシーンのヴォーカルとベースを担当しています。

その曲『Doing All Right』は現在版にアレンジされ、『ボヘミアン・ラプソディ』のサウンドトラックに収録されています。

ティムは自分よりピュアな声を持ち繊細に歌うことができるフレディの歌唱力を羨ましがっていましたが、ティムも優しい声をしているのだとか。

フレディ―マキュリーの晩年について映画で語られなかった史実とは

 

 

②クイーンは解散を一度もしていない

映画では1985年のライブエイド の前に、フレディが密かに400万ドルのソロ・プロジェクトにサインをして、バンドとしばらく距離を置きたいと発言し、怒った残りのメンバーとフレディが1対3となって別々の道に進むというストーリーとなっていました。

しかし実際はクイーンは解散したことはありませんでした。

ですが、クイーンとしての活動を休止していたことはありました。1982年の終わり頃から1983年の夏頃までの約1年半です。

これまで10年間ものあいだ、ずっとツアーを続けていたメンバーたちは、1983年になる頃には燃え尽きてしまったことからメンバー全員が休息を必要としていたんです。

さらにこの頃は人気の絶頂期は過ぎていました。

クイーンのメンバーは、アルバムを作ってはツアーを繰り返すことに物足りなさを感じていたことやメンバー間での口論などがありました。

ただ作品を創ることに対してケンカをして絶交するほど口を聞かなかったり、メンバー間で距離を置こうという雰囲気にはなっておらず、1983年の後期にはアルバム「ザ・ワークス(The Works)」の制作を始めていました。

現実の話では疎遠になるようなことは、一度もなかったということです。

ですが、ライヴエイドがなかったら解散していたかもしれない、とクイーンのメンバーは思っていたのは事実です。

 

 

おわりに・・

今回はボヘミアンラプソディの映画で事実と違う史実について、映画のストーリーと実際の内容を比べてみながらまとめてみました。

ボヘミアンラプソディ映画の中では、美しく感動的な場面だったけど、現実の世界となると、そんなにすんなりと物事は進みませんよね。

この全ての出来事を一つの映画にまとめるのは大変な作業だったという訳です。

連続ドラマなら、全20話位にして詳しくエピソードを描こうとすることが出来るけど、映画なので1作品・2~3時間の中に全てを詰め込まないといけません。

それとプラスして、ただ史実を並べるだけでなく、スクリーンに映し出される作品は感動的な作品にしなければならないという製作者側の思惑もそれなりに表現したいところです。

そのため、多少のフィクションはあったほうがいいということなんですよね。

2018年に公開して以来、ボヘミアンラプソディの映画に続編の声が上がったこともありましたが、もしかしたら映画で表現できずに終わった新たなエピソードがまだクイーンには残っているかもしれません。

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