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ブギウギ朝ドラの桃色争議は史実通り?ストライキで鈴子や大和礼子はどうなる?

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朝ドラ・ブギウギは第3週より、梅丸少女歌劇団(USK)に入団して6年後のスズ子について描かれてます。

少しでも稽古して演技や踊りに磨きをかけて大きな役をもらいたい、福来スズ子や同期、そして梅丸少女歌劇団の団員の少女たちが奮闘しています。

そんな中、昭和の不況のあおりを受けて「桃色争議」と呼ばれる労働ストライキが起きます。

この「桃色争議」は史実通りでしょうか?

今回はブギウギでも取り上げられてる「桃色争議」が史実通りなのか、お届けします。

 

 

ブギウギで取り上げられた「桃色争議」とは?

「ブギウギ」で取り上げられる「桃色争議」は、史実通りです。

1933年(昭和8年)、東京浅草の映画に日本語字幕が付くようになりました。

それまでの映画は日本語字幕がない代わりに弁士(映画の説明をしてくれる人)がつけられ、弁士が休憩するタイミングで、飛鳥さんらが所属していた「大阪松竹少女歌劇団」が登場していました。

ブギウギ朝ドラでも、鈴子が父・梅吉と一緒に梅丸少女歌劇団のレビューを見に行った時、弁士の男性が登場していました。

ですが、映画に日本語字幕が付いたことで、弁士も少女歌劇団も必要がなくなります。

又、昭和初期の世界恐慌の影響もあり、東京の松竹少女歌劇団(SKD)では、男性音楽部員29人が解雇されたり、他の部員も全員減給となっていました。

突然の解雇や減給に納得がいかない東京の松竹少女歌劇団の少女たちは、当時19歳で「男装の麗人」の異名をとっていた、水の江瀧子(ターキー)さんがリーダーとなり、ストライキを起こします。

水の江瀧子さんは、飛鳥明子さん(ブギウギで、大和礼子さんの実在モデル)より後輩で、松竹少女歌劇団の男役トップと言われた方です。

東京の松竹少女歌劇団が先にストライキを起こしたというわけです。

水の江瀧子さんが所属する東京の少女歌劇団に続いて、飛鳥明子さんが所属する大阪松竹少女歌劇団も東京のストライキの影響を受けます。

飛鳥明子さんらは幹部に改善要求を提出するも、幹部は飛鳥さんたちの改善要求を無視!

改善要求を無視された飛鳥さんら大阪松竹少女歌劇団の少女51名は、公演が終了すると南海電車に飛び乗り、暗い山道を歩いて何と、金剛三昧院で籠城作戦をすることにします。

金剛三昧院は高野山のお寺で、籠城作戦の場として選んだのです。

大阪松竹少女歌劇団の少女たちが起こしたストライキは、飛鳥明子さんがリーダーとなり、改善要求を引き続き行います。

すると少女たちが起こしたストライキに次第に世間が興味を持つところとなり、新聞記者が「桃色争議」と名付けて広まるところとなります。

その結果、松竹少女歌劇団の売り上げが激減。

最終的に、松竹少女歌劇団幹部は、週休制と最低賃金を約束します。

結果的に少女たちの完全勝利で終わったのですが、松竹少女歌劇団幹部は飛鳥さんなど桃色争議のストライキを起こしたリーダーに処分を下します。

  1. 東京の松竹少女歌劇団のストライキのリーダー水之江滝子(ターキー)は謹慎処分
  2. 大阪少女地区少女歌劇団のストライキのリーダー飛鳥明子は解雇
  3. その他の松竹少女歌劇団のメンバーは減給

 

飛鳥明子さんは「解雇」という最も重い処分となり、解雇されたことで、後輩たちを守った形となりました。

朝ドラブギウギでは娘役トップの大和礼子と男役トップ・橘アオイが出ていました。

ですが史実では、大阪松竹少女歌劇団には、飛鳥さんの時代に男役トップはいなかったとのことです。

おそらく橘アオイ(翼和希さん)は、東京の松竹少女歌劇団の男役トップさんが実在モデルだと思われます。

 

 

桃色争議はなぜ「桃色」?赤が名前の由来で蟹工船が発端の実話について

それにしてもどうして「桃色」と名付けられたんでしょうか?

名前の由来を調べました。

当時の不況により、歌劇団だけでなく日本で数々の労働争議・ストライキが起きていました。

歌劇団で起きた名前の由来については、書籍などを調べてもはっきりとした内容は出てきませんでした。

女性、しかも若い女の子が起こした労働争議と言うことで、父の梅吉が言っていた「赤(アカ)」を薄めて名前になったのが由来なのかな?と推測します。

とはいえ、「桃色争議」というネーミングでマスコミが書き立てたことが発端で、注目されて、若い女子に同情した世間の目が松竹への批判に集まり、松竹が彼女たちの要望を聞き入れることになるので、なんとも皮肉な結果だと思います。

「ピンク」は赤が名前の由来?

ちなみに「赤」とはいわゆる、共産主義のことです。

 

社会主義や共産主義の象徴である赤旗の色から、共産主義者、社会主義者などを「赤・アカ」と呼び、あまり良い意味でない使われ方だったようです。

桃色争議は蟹工船が発端?

「桃色争議」が新聞でセンセーショナルに書き立てられた発端は、東京で最初に起きた「桃色争議」のリーダーだった水の江瀧子さんが、1929年に発表された小林多喜二さんの「蟹工船」を読んで大きな影響を受けたこともあったそうです。

蟹工船とは、文芸誌『戦旗』で1929年(昭和4年)に発表された、小林多喜二さんの小説です。

蟹工船とは、船内に蟹の加工設備を持つ工場船です。

搭載された小型船で漁を行い、母船に持ち帰り缶詰に加工。

この蟹工船での労働環境は劣悪を極め、さしずめ暴力支配による「ブラック企業」でした。

本作の出版当時、日本は軍国主義へと邁進しており、主義に沿わないものは発禁処分にされていました。

『蟹工船』もその対象になり、著者である小林多喜二は特高警察に逮捕され、拷問の末に惨殺されるという壮絶な最期を遂げています。

引用元:https://ddnavi.com/serial/1093260/a/

 

いわゆる現在で言う「ブラック企業」に対して、労働者たちストライキを起こす内容。

その後、原作者の小林多喜二さんは、安維持法違反容疑で逮捕され、警視庁築地署で拷問死という壮絶な最後を迎えています。

ちなみに「蟹工船」を元にしたドラマが松田龍平さん、西島秀俊さんら主演で、2009年に作られています。

松田龍平さんがストライキを起こす側、西島秀俊さんは非常な現場監督を演じ、「西島秀俊さんの新境地」とも言われているようです。

朝ドラ「ブギウギ」桃色争議について・終わりに

今回は「ブギウギ朝ドラの桃色争議は史実通り?ストライキで鈴子や大和礼子はどうなる?」と題してお届けしました。

ドラマ第3週と第4週で描かれる「桃色争議」は、史実通りです。

1933年(昭和8年)、東京・松竹少女歌劇部(後・松竹歌劇団)と、大阪・松竹楽劇部(現・OSK日本歌劇団)で発生した団員たちによる労働ストライキです。

朝ドラ「ブギウギ」はフィクションとして制作されたオリジナル作品ですが、史実に基づいて描かれているので、当時の時代背景を知ることが出来る朝ドラとなっています。

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