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朝ドラ【虎に翼】寅子の母・猪爪はる(石田ゆり子)のモデルは武藤ノブさん!

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この記事は、2024年4月1日より放送される、朝ドラ「虎に翼」に登場、石田ゆり子さん演じる寅子の母・猪爪はるについて書いてます。

猪爪はるは、「女の幸せは結婚よ」という考えの持ち主ですが、寅子のモデル・三淵 嘉子さんの母・武藤ノブさんもそうだったのでしょうか?

三淵 嘉子さんの母・武藤ノブさんについて、どんな人物だったのか?調査しました。

 

朝ドラ【虎に翼】寅子の母・猪爪はる(石田ゆり子)のモデルは武藤ノブさん!

朝ドラ「虎に翼」に登場する、石田ゆり子さん演じるのは、寅子の母・猪爪はるです。

猪爪はるは、家計も家事も完璧に管理するしっかり者の女性。

猪爪家の実権を握っていて、はるは常に現実的に物事を見ています。

そんな寅子の母・はるは、「結婚こそが女性の幸せだと信じている女性」です。

ということで、寅子は「結婚が女性の幸せのすべてなのか??」という考えなので、娘と母とは真逆の考えのため、しばし意見が合いません。

石田ゆり子さんのビジュアルから、ついつい「ホンワカした優しさいっぱいの母親」に見えてしまいそうになりますが、どうも違うようですね。

そんな猪爪はる(石田ゆり子さん)のモデルとなったのは、三淵嘉子さんの実母である・武藤ノブさんです。

残念ながら武藤ノブさんは、脳溢血で1947年に病死されています。

三淵嘉子さんは、1914年生まれなので、三淵嘉子さんが30代前半で旅立たれています。

 

 

【虎に翼】寅子の母のモデル・武藤ノブさんだけでなかった

猪爪寅子のモデルとなる、三淵嘉子さんが母親の武藤ノブさんと死に別れましたが、実はこの時期、母親だけでなく、相次いで身内の方が亡くなっています。

1944年にはすぐ下の弟である、一郎さんが奄美諸島の南方で戦死。

1946年には最初の夫である和田芳夫さんが、長崎に復員後に長崎で病死。

翌年の1947年には、父親の武藤貞雄さんが肝硬変で病死しています。

この時三淵嘉子さんは悲しみに暮れている暇もありませんでした。

幼い息子である芳武の育児もこなしながら、3人の弟たちの経済的負担ものしかかっていました。

戦前に登録していた弁護士業は、この時期開店休業状態であり、実家の工場も軍需工場であったため操業が出来ませんでした。

家計に困った三淵嘉子さんは家計を支えようとして、司法省に自分を裁判官として採用してもらいたい、と願書を出します。

朝ドラ「虎に翼」のヒロイン・猪爪寅子のモデルとなった三淵嘉子さんが裁判官への道へ進むキッカケとなったのは、家族の相次ぐ死とそれに伴う家計悪化のため、経済的な理由から裁判官の道へと歩むようになったそうです。

 

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