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【ブギウギ】タナケン(生瀬勝久)のモデルはエノケン(榎本健一)!史実はどうなった?

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朝ドラ「ブギウギ」で、ヒロイン・スズ子が出会うことになる、喜劇王のタナケン(生瀬勝久さん)。

タナケンは「喜劇王」として知られています。

そんなタナケンに実在のモデルはいるのでしょうか。

今回はタナケンのモデルとされるエノケン(榎本健一さん)について、史実を元に調査しました。

それではどうぞ。

 

 

【ブギウギ】タナケンのモデルはエノケン(榎本健一さん)

朝ドラ・ブギウギの後半も、ヒロイン・スズ子の周りに様々な人物が登場することが発表されました。

そのうちの一人、喜劇役者「タナケン」こと棚橋健二とは、第二次世界大戦期前後の日本において、国民的喜劇俳優として活躍した、「エノケン」こと榎本健一さんをモデルにしていると考えられます。

NHK朝ドラ「ブギウギ」は、タナケンを演じるのは、生瀬勝久さんです。

実は、福来スズ子のモデルである、笠置シヅ子さんは「2人の名伯楽あり」と言われています。

1人は作曲家の服部良一さん。

(ブギウギでは、草彅剛さん演じる羽鳥善一)

もう1人が喜劇役者の榎本健一さんです。

笠置シヅ子さんと榎本健一さんの出会いは、1946(昭和21)年、日比谷・有楽座の稽古場です。

この時エノケンさんは、笠置シヅ子さんの演技を見て、芝居のツボが外れていると指摘したそうです(「ブギの女王・笠置シヅ子 心ズキズキワクワクああしんど Kindle版(新しいタブで開きます)」より)。

それでもその外し方が面白い効果を出していると感じたエノケンは、笠置シヅ子さんに「どんなにツボを外しても、自分が受け止めてやるからそのまま突っ込んでこい」と伝えたと言われています。

まさに「演技の師匠」からの温かい励ましでした。

福来スズ子のモデルとなっている、笠置シヅ子さんは、服部良一さんだけでなく、昭和の戦前・戦後において「喜劇王」と言われた、榎本健一さんとの出会いが、その後の「ブギの女王」とだけではない活躍があったのですね。

 

 

笠置シヅ子さんとエノケンの関係性について

エノケンは笠置シヅ子さんの自叙伝に寄稿文を寄せています。

その中で笠置シヅ子さんのことを「裏表のない生一本の性格」として評価しています。

笠置シヅ子さんがエノケンさんのことを「先生、先生」と言いながら、お歳暮にミカンを配って回る姿をエピソードとして書き残しています。

笠置シヅ子さんのことをずいぶん真面目な性格の持ち主であると見ていたのでしょう。

このエピソードはブギウギでも、梅丸少女歌劇団に入団した鈴子が、「ワテは、一日試験日を間違えても入団を認めてくれた、梅丸に恩義があるねん。義理と人情や」と描かれていました。

当時の世間では「女喜劇役者」や「女エノケン」とまで、評されていた笠置シヅ子さんからは考えられない真面目な性格が、エノケンが笠置シヅ子さんの演技に目をかけるきっかけになっのではないでしょうか。

舞台に立てないエノケンの代役へ

笠置シヅ子さんは、後にエノケンさんの舞台の代役をつとめたことがありました。

当時、エノケンさんが舞台で孫悟空を演じた際、如意棒を左足に落としたことが原因で、壊疽(えそ)と診断され、入院することに。

いったん復帰したもののいつ再発してもおかしくない状態だったのです。

1952年(昭和27年)10月、戦前から続けてきたエノケン劇団の解散興行中に再発。

エノケンは右足首を切断しないといけない事態に。

その舞台は広島での開催で、エノケンはシズ子に代役を頼んでいます。

笠置シズ子さんは多忙なスケジュールのなかでも、エノケンのたっての願いに対して即座に「私でお役に立つのならすぐに行きます。」ということで、広島に駆けつけました。

笠置シヅ子さんの「恩がある人の窮地には何よりも優先する」という、義理と人情を大事にするエピソードが、ここでもうかがえます。

 

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