この記事は、NHK大河ドラマ「光る君へ」第10話で本郷奏多さん演じる、花山天皇の出家が史実なのか?分かったことをまとめてます。
「光る君へ」で、藤原兼家(段田安則さん)と次男の道兼(玉置玲央さん)親子を中心に画策し、花山天皇(本郷奏多さん)がそそのかされ、出家しようとする場面が描かれます。
それではどうぞ。
【光る君へ】花山天皇の出家の理由は何?「寛和の変(かんなのへん)」の史実も調査
「光る君へ」で描かれる花山天皇の出家は「寛和の変」と呼ばれ、史実通りです。
このあたりのエピソードは、ほぼ忠実に再現されています。
「光る君へ」において花山天皇が出家した主な理由は、寵愛していた妻・藤原忯子(井上咲楽さん)の急死でした。
2人の間に授かったお腹のこどもだけでなく、寵愛していた忯子がついに亡くなったことで気落ちしている花山天皇。
花山天皇の様子を見ていた、安倍晴明(ユースケ・サンタマリアさん)が、「忯子は今も成仏できずに右大臣・兼家にとりついてます。」と嘘の内容を話して聞かせます。
実は忯子の死に関しては、「お腹の子を呪い殺すように」と、兼家が安倍晴明に命じていたのでした。
安倍晴明は更に「さまよっている忯子の御霊を鎮めるためには、天皇が出家するしかありません。」と明言。
折しも、内裏では、忯子の怨霊としか思えないような不吉な出来事が続いており、花山天皇は、忯子のためだけでなく、国の平安のためにも、、と、出家を決心します。
ですが、これらは全て本当に忯子の怨霊ではなく、兼家と道兼の策略。
道兼は倒れて床に臥せっている父・兼家が時々目を覚まし、虐待されている、と花山天皇に打ち明けることで同情を買おうとします。
実は兼家によるイジメと言うのは自作自演。
自分で自分の身体に傷を付け、父からの虐待によるものだと言い、花山天皇のことをだましていたのでした。
道兼は、徐々に花山天皇に取り入って信用を得るとともに、共に出家することを提案。
史実でもドラマ同様に、花山天皇が出家をした理由は、女御・藤原忯子の急逝でした。
史実によると、当時の貴族たちは配偶者が亡くなると出家をする人も多かったそう。
花山天皇も、寵愛していた忯子の死に虚しさを感じ、御仏にすがりたい、忯子の元に参りたいという思いが生まれたことで出家を望んだのでしょう。
花山天皇の出家を望む声に、側近である藤原義親(高橋光臣さん)は何とか思いとどまらせようとしました。
一方、花山天皇が出家を決意したという話を聞いた藤原兼家は、自らの孫である懐仁親王(石塚陸翔)を天皇に即位させて、藤原家の権力を強大なものとするため、何としても花山天皇を退位させようと画策。
蔵人として天皇に仕えていた三男(ドラマでは次男)の道兼に、花山天皇に対し、世の無常を説き、「共に出家しましょう」と持ち掛けさせたのでした。
でもよくよく考えると、なぜ道兼に出家話を持ち掛けられて、花山天皇も応じたのか??
それだけ花山天皇は、メンタルが相当弱っていたのでしょうか??
【光る君へ】藤原兼家と道兼が騙した寛和の変(かんなのへん)を調査
「光る君へ」第10話でも描かれる、兼家・道兼親子に騙された花山天皇の退位・出家は「寛和の変」と呼ばれています。
上述の通り、寵愛していた女御・忯子が亡くなったことで出家を考え始めた花山天皇は、「共に出家しましょう」との道兼の提案を受け入れます。
寛和2(986)年6月23日、明け方に花山天皇は、道兼の勧めに従い、密かに内裏を出て山科にある元慶寺に向かい剃髪しました。
天皇の剃髪を見届けた道兼は、何事もなかったかのように元慶寺を抜け出し、そのまま戻ってくることはありませんでした。
道兼が戻ってこないことで、花山天皇は騙されたことに気が付きますが、時すでに遅し。
花山天皇の側近・藤原義懐、藤原惟成(吉田亮さん)が花山天皇がいないことに気が付いた際にはもう天皇の出家の行事は終わった後でした。
義懐、惟成のふたりも、天皇とともにそのまま元慶寺にて剃髪、出家しています。
【光る君へ】寛和の変でその後はどう変わった?
「寛和の変」の後、花山天皇とともに、藤原義懐、藤原惟成もしゅっけしたことで、権力の構図も変わりました。
寛和の変で、花山天皇が出家し退位したことで、当時の関白・藤原頼忠(橋爪淳さん)も摂関の地位を失い、事実上失脚します。
兼家の孫である当時7歳だった懐仁親王が一条天皇として即位したことで、兼家は摂政に就任しました。
頼忠から兼家に権力が移ったことで、これまで小野宮流(藤原公任の血筋)にあった政治の実権が九条流(道長の血筋)に移ります。
「寛和の変」は、政治の実権が移ったことで、これまで順調だった藤原公任(町田啓太さん)の出世にも大きな影響を与えます。
花山天皇が親王の頃に学問をおしえていた紫式部の父・藤原為時(岸谷五朗さん)の出世にも影響することになります。
藤原為時(岸谷五朗さん)は、兼家の申し出を一度断っているので、兼家パパとしては「許すまじ!!」となったのでしょう。
流石は兼家パパ、恐ろしいです。
今回は、「光る君へ」で描かれる花山天皇が出家をした理由や、「寛和の変」について、史実と共にお伝えしました。
「寛和の変」で花山天皇が退位し一条天皇が即位したことで、政治の実権は一条天皇の外祖父・藤原兼家が握るようになりました。
このことは、この後大きな権力を手にすることとなる道長にとっても大きな出来事だったに違いありません。
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