映画「ボヘミアンラプソディ」では最後のシーンでクイーンがイギリスで行われた、ライブエイドに参加して大成功を収めました。
ところが出演したクイーン実はライブエイドで喧嘩をしたなんて噂があるんですが、全くのデマだとの話も。
2022年現在では「伝説のライブエイド」とも言われていますが、このライブがその後のフレディの声に影響しているんだとか。
今回はライブエイドでクイーンが喧嘩したといわれる理由やその影響について調査してみました。
ライブエイドでクイーンが喧嘩した!?
ボヘミアンラプソディの映画ではラスト20分の大迫力のライブシーンが、最大の見どころとも言えます。
映画 #ボヘミアン・ラプソディ 観てきました!(5回目)スクリーン大きくて、音もすごく良かったです♪本日は、フレディ役 #ラミマレック のお目々キラキラさせてるシーンと、酷く淀みまくりのシーンの落差を楽しみました❤️基本、ライブシーンはキラキラお目々✨✨✨ pic.twitter.com/JxEy8dobd2
— どらごん@ (@doragonumeko) December 9, 2018
そして1985年7月13日に行われた、リアルのライブエイドでも当時約7万人が入場して、ウェンブリースタジアムを埋めつくすほどの人数でしたが、一瞬で歓声の渦に巻き込んだクイーン、そしてボーカリストとして改めて見直されたフレディマーキュリーの歌声。
そんな大迫力のライブを行えるほどのクイーンのメンバーがライブエイドで喧嘩していたというウワサがボラプ映画の公開によって流れてきました。
ライブエイドで喧嘩をしたか?と言われれば、それは完全なデマだったんです。
ただ実際にはクイーンのメンバーが1985年のライブエイド参加まで至る過程では、本当に解散しそうなほどの危険な喧嘩をしていました。
ライブエイドが開催されたのが1985年。
この時クイーンは「ザ・ワークス(The Works)」というアルバムをリリースしていました。
この「ザ・ワークス」を作るまでが本当に大変でした。
その前のアルバム「ホット・スペース(Hot Space)」が大コケしてしまい、「誰のせいだ!」と4人の仲は非常に険悪なものになりました。
長い間4人で活動をせず、それぞれがソロ活動をし始めた時期でもありこれまでの中でも1番の解散危機状態でした。
しかし「ザ・ワークス」を作ったことでまた4人は結束し、続いてライブエイドに出演したことでだいぶ4人の関係は良くなっていったのです。
ライブエイドでは、逆に4人は仲良くなることができたので「ザ・ワークス」の作成よりも、ライブエイドで大成功したことが、4人にとって良い刺激になりました。
「ホット・スペース」をリリースしたことで、特にマスメディアからは大批判を食らっていた、彼ら。
「もうクイーンは必要とされていないのではないか」というクイーンメンバーの不安を、ライブエイドは払拭してくれたという訳です。
クイーンは喧嘩しやすいが、いざという時には結束できる素晴らしいバンドです。
それだけ根っこの部分で4人のお互いが信頼関係を築けているからこそ、なのでしょう。
クイーンは普段から決してめちゃくちゃ仲が良いバンドではありません。
むしろ喧嘩が絶えませんでした。
もともと四人とも個性豊かな感性を持っており、その上ジョンディーコンを除く3人は自分の主義を何が何でも絶対に曲げたがらないという性格なので、衝突は避けられないものでした。
その喧嘩はそりゃあもう、凄い!
フレディマーキュリーはキレれば姿見まで投げるし、ブライアン・メイは口論でものすごい皮肉を言いまくるし、ロジャーテイラーも温厚そうに見えてもでカッとなりやすい性格だし……。
ボヘミアンラプソディの映画ではだいぶマイルドになっていましたが、本物のロジャーテイラーならコーヒーマシンを思いっきりブライアンの顔に投げつけているほどです。
フレディは機嫌がいい時は本当に優しい紳士な男性なのですが、怒ると手がつけられなくなるんだとか。
ただブライアンメイが大切にしているレッドスペシャルのギターにだけは絶対に傷がつかないように物を投げてたそうです^^
唯一の良心であるジョンディーコンでさえも、積極的に止めることはありませんでした。
ジョンディーコンにしてみれば、しょっちゅう喧嘩ばかりしているのをみていたら、「ああ、また彼らのいつもの日常が始まったね。」くらいの余裕をもってみていたのかもしれません。
クイーンが残したライブエイドの伝説について
.@QueenWillRock backstage at Live Aid by David Bailey. pic.twitter.com/tGWNzt03EC
— David Walliams HQ (@davidwalliams) April 19, 2019
ボヘミアンラプソディの映画によって蘇ったクイーンですが、実際のメンバーのその活躍ぶりとは一体どの程度だったのでしょうか?
1985年に開催されたライブエイドの救済コンサートには、28ものアーティストが出演していました。
そしてこの時のライブエイドのパフォーマンスでは、クイーンは特別でした。なぜ特別だったのでしょうか?
「ライブエイド」で検索するとバンバン出てくるクイーンの情報。なぜこんなにも「ライブエイド」と「クイーン」の関連性が強かったのか?
それは、クイーンのパフォーマンスが他のアーティストを遥かに凌駕するレベルで素晴らしかったからです!
他のバンドももちろん大御所ばかりで、プロ中のプロばかり集まっていました。
例えば、エルトンジョン、元ビートルズのポールマッカートニー、ワム!のジョージマイケル、デビットボウイ、U2等々、、。
しかし、クイーンが出てきたときの盛り上がりは、その中でも群を抜いており、クイーンが退場した後のアーティストのプレッシャーはものすごいものでした。
あまりの盛り上がりっぷりに、主催者であるボブ・ゲルドフは「クイーンの後に急激に盛り下がったらどうしよう。」と不安になったといわれていました。(ボブゲルドフの当時の様子を知る音楽関係者談)
もっとも、クイーンの後はデイヴィッド・ボウィだったので心配する必要はありませんでした。
デビットボウイのステージはクイーンと違うベクトルで群を抜くレベルの高いもので、盛り下がることはありませんでした。
このボブ・ゲルドフは、大勢の豪華アーティストが集まったライブにも関わらず、ライブエイド終了後のインタビューでうっかり「ライブエイドはクイーンのためにあった。」などと口を滑らせてしまっていたほどでした。
それほどに、当時のクイーンのパフォーマンスは圧倒的でした。
1985年当時の音楽雑誌「ミュージックライフ(MUSIC LIFE)」の編集長だった東郷かおる子さんが「クイーン史上最高のステージを絶賛していました。
東郷かおる子さんと言えば割と辛口タイプの方なので、こんなふうに褒めるのは珍しいです。
ライブエイドその後のフレディの声について
#クイーン #デヴィッドボウイ#ボヘミアンラプソディー
アンダープレッシャー聞いてボウイ思い出し泣き、ウェンブリー&ボブゲルドフに泣き、最後はメイドインヘヴンのアルバム思い出して泣き。感動と回顧と改めて感じた素晴らしい曲によって脳ミソウオッシュされた! pic.twitter.com/TRyqHSIxdb— StarMount (@S_M_Dragon) November 29, 2018
先述の通り、クイーンはライブエイド寸前まで解散間近でした。レコードの売り上げも落ち、人気がどんどんと落ち込んでいっている様子を本人たちも感じ取っていました。
ライブエイドの出演依頼を受け取った時も、一度は断ったそうです。しかし、ボブ・ゲルドフの熱烈な勧誘に負け、出演を決意しました。
ライブエイドはチャリティコンサート。一切のギャラをもらわないコンサートです。ですので、衣装代などを捻出することができません。さらに、様々なアーティストが次々に入れ替わりでステージに立つので、特殊なステージにすることもできません。
クイーンの衣装、普段のライブを見ればわかりますが、かなり気合が入っています。しかし、ライブエイドの時の衣装はまるで普段着です。ステージも簡素で、余計なものは一切ないという状況で勝負しなくてはなりませんでした。
しかしクイーンはそんな、まるで学生バンドのようなステージで、7万人もの観客を湧かせました。
大歓迎してくれる観客に、クイーンは感動しました。中には「U2」の旗を持ったままクイーンを迎えてくれる人もいました。
他のバンド目当てで来た人たちまで自分たちを歓迎してくれてるんだから、「やってやろうじゃん!」って思えて、モチベーションが上がったでしょう。
そして4人は確信しました。
「まだまだ俺たちはやれる」と。
クイーンはやり直すことを決めました。このライブエイドがなければ、クイーンは解散していたかもしれません。
まさに奇跡としか言いようがないこのライブエイドでの活躍、これがなければ、クイーンは今ほど伝説にはならなかったでしょう。
そう考えてみると、本当にライブエイドがあってよかったですよね!
ライヴエイド(LIVE AID)は元々は、ボブゲルドフが「1億人の飢餓を救う」というスローガンの下、「アフリカ難民救済」を目的としてスタートした企画。
Live Aid主催者のボブゲルドフ、広い肩幅にオーバーサイズのデニムシャツ、細すぎる脚にさらに追い討ちをかけるハイウエスト、ゆるふわ無造作ロングヘアという出で立ちでワイの性癖が死ぬ pic.twitter.com/6L3wIHdIWD
— アン (@brpuniverse) December 6, 2018
この企画がなかったら、クイーンは仲が悪いままそのまま解散になっていったかもしれないし、ある意味ボヘミアンラプソディの映画が制作されることもなかったんですよね。
このライブエイドの参加によって、フレディマーキュリーの声がボーカリストとしてあらためて見直されたというのは言うまでもありません。
ライブエイドの反響を受けてクイーンは新曲のレコーディングをスタートします。
1985年11月に、シングル『ワン・ヴィジョン』を発表して、本国イギリスではチャート最高位2位と好成績を残した。「ライヴエイドへの出演がなければ、そのまま本当に解散していたかもしれない」と、後にメンバーも振り返るほどでした。
1986年には、12作目のアルバム『カインド・オブ・マジック』を発表するとイギリスを中心に世界中で大ヒットを記録しています。
『カインド・オブ・マジック』発表後に「マジック・ツアー」を行い、ヨーロッパ諸国の全26公演で200万人以上の観客を動員。
中でもウェンブリー・スタジアムで行われたコンサートは2日間で15万人の観客動員を記録し、8月9日にはイギリスのネブワースパークで観客30万人を記録して、ツアーは大成功を収めるのですが、フレディマーキュリーの体調の悪化に伴い、クイーンの4人が揃ってツアーを行ったのはこれが最後となっています。
おわりに・・・
「ライブエイドといえばクイーン」とまで言われるほどに絶大な影響をライブエイドに及ぼしたクイーンですが、結果的に振り返ってみるとライブエイドの効果はクイーンのメンバー4人全員にも大きな影響を与えることとなっていました。
今回の記事のことをまとめてみます。
- クイーンはライブエイドで喧嘩した?→喧嘩するどころか、仲直りして、結束が固まった。
- クイーンがライブエイドで残した伝説とは?→大御所ばかり集まるライブで、主催者に「ライブエイドはクイーンのためにあった」とまで言わせたほどのパフォーマンスを魅せた。
- ライブエイドでクイーンが起こした奇跡→解散寸前だったクイーンを救い、ライブエイドを大成功に導いた。
解散からクイーンを救い伝説を残したクイーンのライブパフォーマンスは、今でも語り継がれています。
2021年現在では、コロナの影響もあってこんな大規模の迫力あるライブパフォーマンスはまず開催が出来ない状態ですので、ある意味当時リアルタイムでこのライブに参加出来た方が羨ましい限りですよね!